プラシド・ドミンゴの「ふるさと」
3大テノールの一人、プラシド・ドミンゴが4月10日と13日に日本公演を行いました。
(他の二人は、ホセ・カレーラスと亡きルチアーノ・パヴァロッティ)
地震、そして原発事故、日に日に深刻化する状況の中、海外のクラッシック演奏家が次々と日本公演をキャンセル。そんなとき、ドミンゴはやってきました。
なんと演奏会のアンコールで日本の歌「故郷(ふるさと)」が日本語で歌われたのです。
2011年4月29日の日経に音楽プロモーター寺島忠男さんによる記事が掲載されていましたのでご紹介します。
・・・・・(以下引用)・・・・・
ドミンゴが祈りの気持ちをこめてアンコールに唱歌「故郷」を日本語で歌う。観客は総立ちになり、一緒に歌いながら感動の涙。歌っているドミンゴや共演したソプラノ、ヴァージニア・トーラの目にも涙が光っていた。舞台と客席が一つになり、天に届けとばかりに別世界が広がった。
(中略)
「今日ここに着くまで、私は一度たりとも疑問を持たなかった。もし来ない方がいい状況なら、24年間一緒に仕事をしてきたヨシコ(私の妻)とテリー(私の愛称)が最初に言ってくれる。彼らが言わないのなら、絶対安全だと確信を持っていた」
これほど熱く心打たれる言葉に一生に一度でも出会うことができるだろうか。私はドミンゴの温かさと人間的な大きさに心が震え、こみ上げる涙を抑えることができなかった。・・・・・(以上引用)・・・・・
ドミンゴが「故郷」を日本語で歌ってくれる。
音楽でこれほど力をいただけるものはないと思いました。
今回は、日本のファッションに興味を持っていて、夫人にせがんで来日していた孫娘さんもいました。
ドミンゴは孫を連れてくるほど寺島さんを心から信頼しての来日だったのです。人との信頼とは震災をも乗り越えるものなのですね。
ドミンゴと寺島さんと出会い。そして、「故郷」を歌ったこと。
寺島さんは「どの公演も感慨深いが、今回はその頂点である」と言っているように、この日のために、何かに導かれるようにしておこった人との出会い。私は、偶然ではないような気がしてなりません。