あの夏の思い出:私の10代最後の夏休み
ばんちょ~より、「あの夏の思い出を書きなさい!!」という命令お題をいただきました。
ということで、19歳、10代最後の夏休みの思い出です。
「10代最後の夏休みの思い出」
....いいなぁ。
....なんか甘い響きですね。
でも、なにもロマンティックなお話しはありません。
1981年の夏、私は大学2年生。
一応、工学部の学生でしたが、勉強はほとんどせずに、写真部に入って写真ばかり撮っていました。
大学1年の頃から某社の一眼レフを使用していたのですが、あまりにハードに使いまくったせいか、かなり痛んできました。
例えば、セルフタイマーのレバーが外れたり。ペンタプリズムのカバーがボコっと凹んだり。
時々動かなかったり。(涙)
「ううむ、やっぱりプロ用の一眼レフじゃないと、ダメなのだなぁ」
と思い、キヤノンF-1(初代)を買うことにしました。
ちなみに、キヤノンF-1とは、当時プロ用カメラを持っていなかったキヤノンが5年の歳月と威信をかけて開発した、こんな感じのとってもかっこいいプロ用カメラです。
特にこれなんか、男心をとってもくすぐられますね。(画面下の2をクリックください)
あるプロが写真雑誌で、「海の上でもう何年間もハードに使っているが、動かなかったことは一度もない。すごく丈夫なカメラだ」と言っていたのを、今でも覚えています。
当時は高嶺の花で、もう欲しくて欲しくて、夢にまで出てきました。
でも、貧乏学生だったので、先立つもの(=お金)がありません。
「でも、写真もやらなければなぁ」
ということで、写真のバイトをすることにしました。
しかし当時は写真の腕はまだまだで、撮影で稼ぐなんて、とてもではありませんが、できませんでした。
そこで、夏休みに家の近所の写真の現像所で働くことにしました。
モノクロ写真専門の現像所で、所長1名、事務の女性2名、カメラマンの卵1名といった小さなオフィスでした。
給料は安かったですね。9:00-16:30まで働いて日給3000円程度でしょうか?
でも、お金をいただいて写真が勉強できるのですから、ありがたいことです。
結局、合計30日間、約9万円程稼いで、私の19歳の夏は終わりました。
毎日写真の現像の場にいたせいか、ありがたいことに暗室作業の腕はかなり上がりました。
(ちなみに、現在の私は全く違う仕事をしていますが....)
夏休みが終わり、秋になってあこがれのキヤノンF-1を購入しました。
のちにキヤノンニューF-1に切り替えるまでは、大学2年の終わりから20代後半にかけて、このカメラで様々なものを撮影しました。
このカメラ、まだ家にあります。完全メカニカルなので、今でもちゃんと動きます。
ただ、露出計のバッテリーが水銀電池なので、アダプターを介さないと露出計が動かないのが玉に瑕です。
でも、かっこよさはピカイチですね。
ちょっとジャリジャリ感がある巻き上げレバーと、「シャキ~ン」といった感じの音がするシャッターは、思わず「写真をどんどん撮ってやろう」という高揚した気持ちにさせてくれます。
「私のカメラ、現在十五代目」に書きましたように今まで色々なカメラを使ってきましたが、このカメラは特に思い入れがあります。
考えてみれば、当時の最高峰だったこのキヤノンF-1は定価78,000円でした。
一方で今年買ったEOS 5D Mark IIは実売30万円。
キヤノンの現在の最高峰であるEOS–1Ds Mark IIIは約90万円。
思えば、戦前戦後はカメラ1台が家一軒と言われましたが、高度経済成長を通じて劇的に価格が下がりました。
ちなみに、この時に仕事をさせていただいた現像所の所長曰く、「オレは戦後闇市でボロ儲けした。お金を貯めようと思ったから、当時家一軒分の価値があったローライというカメラを買った。でも今や数十万円なんだよね。そのうち事業に失敗してスッカラカン」
その後、プロ用カメラに限ると、逆にこの30年間で値段はもの凄く上がっているようです。もちろん、最新型に限りますが。