三十数年ぶりに「走れメロス」を読んだら、全く違う作品だった件について
»
先日、熱海にある戸田幸四郎絵本美術館に行ってきました。
ここには絵本作家である戸田幸四郎による絵本の原画が多数展示されています。
小さな美術館ですが、戸田幸四郎の素朴かつシンプルで力強い画と、生き物と生き物の共生を願う物語は訴求力があります。充実した時間でした。
太宰治が1940年に書いた作品「走れメロス」の絵本もあり、ビデオで戸田幸四郎画による40分程度の朗読ビデオも上映されていました。
「走れメロス」に接するのは中学生以来なので、三十数年ぶりです。
中学生の頃に読んだ印象では、「人間の素晴らしいさを賛美した勧善懲悪の物語」という記憶が残っていました。
その一方で、太宰治は「人間失格」等で、人間のどうしようもできない弱い部分を描いてもいます。
この二つが、中学生の頃の私には、どうしても結びつきませんでした。
今回、改めて「走れメロス」に接して、極めて正義感が強い人物が併せて持っている弱い部分がもたげてくる過程と、その弱さを克服するプロセスが、丁寧に描かれていることが分かりました。
人間の弱い部分の描写力は、まさに太宰治の真骨頂ですね。
私が中学生の頃は、恐らくこの部分がなかなか理解できなかったのではないかと思います。
両作品が、実は深い部分で結びついていることがよく分かりました。
太宰治らしい最後のオチも、改めて気付きました。
ちなみに、Wikipediaによると、「走れメロス」のネタ元は熱海の旅館に逗留していた太宰治と友人の檀一雄との間であった一件だったようです。詳しくはこちら
また、既に著作権が切れている「走れメロス」は、全文青空文庫で読むことができます。⇒こちら
SpecialPR