現在、伊勢おかげ横丁の「おかげ座」に、この犬の人形があります。この犬は、しめ縄を首に巻き、お札を担いでます。
文政13年(1830)おかげ参りをした『おさん』です。紀州犬ですね。
「おさん」は、おかげ参りをしたことで有名な犬のこと。文政13年(1830年)のことを記した「御蔭おかげ参宮まいり文政神異記」に、確かにお伊勢参りをした阿波国徳島(徳島県)のおさんといへる小ぶりなる犬のことが、挿絵とともに記されている。
「代参」と分かる書き付けとともに、さい銭や路銀の銅銭を包んだ風呂敷を首に巻いていた。餌をもらう茶店や途中で出会った人たちが、「感心な犬だこと」とさらに銭を入れることもあったらしい。「銅銭で風呂敷が重くなり、犬が難儀をしている様子に、軽い二朱銀などに両替をしてやる人もいた」という。
その謎を解明するヒントは、お蔭参りの規模にある。年間300万人とも500万人ともいわれ、当時の日本人の10人に1人、あるいは6人に1人が伊勢を目指して、伊勢街道はもとより、東海道もごった返した。親に内緒で飛び出した子どもたちだけの抜け参りも大勢いた。そして街道筋の人たちの善意が彼らを支えた。「代参」の犬と知り、世話焼きを買って出る住民や旅人もいたに違いない。
広重の錦絵も、夫婦連れの旅人が、まさに両替してやろうという場面のようだ。おさん以外にも伊勢参宮犬はかなりいたらしいが、犬の風呂敷からお金を盗もうなどという不届きな人間はいなかった。それでも、主人がいるわけでもなく、ひもを付けて引っ張るでもない。お伊勢参りをして、ふたたび元来た道を帰ることができたのだろうか。
人波が伊勢へと向かう往路だけではない。人波が分散する帰路でも、書き付けの住所を見て、「おーい、○○方面へ行く人いないか」などと声をかければ、「おれが途中まで連れてってやる」と応える人がいたことだろう。錦絵からはそんな善意の応答まで聞こえてきそうだ。
伊勢に行きたくてもどうしても行けないという人もおり、そういった人達は、自分の代理として他の人に伊勢にお参り行って来て貰う事で、神宮に代参をしたのです。そして、そのうちに、人間ではなく自分の犬に代参を託す人も出てくるようになり、近所でおかげ参りに行くという人に自分の犬を預けて連れて行って貰ったり、もしくは、道中の人々がその犬を伊勢へと案内してくれる事を期待して、犬一匹だけで送り出される事もあったようです。
こういった犬のおかげ参りは江戸時代後期に流行り、おかげ参りをしている犬である事がすぐ判別できるよう、犬には御幣や注連縄が付けられ、また、犬の首には道中のお金などがくくりつけられて送り出されました。
伊勢へと通じる道々では、そうした犬が来ると皆で餌をあげたり泊めるなどして、その分のお金を少し貰ったりもするのですが、逆に「これはとても立派な犬だ」と言ってお金を足してあげる人も多く、犬の首に掛けられている袋のお金が増えてくると、袋が重くて犬が可愛そうだと一枚の銀貨に両替してくれる人までいたそうです。当時の人々はとても信心深かったので、おかげ参りをしている犬からお金を盗むような人はなく、こうして犬は人々の善意に支えられながら伊勢へと送り届けられていったのです。
そこで今回、現代版お伊勢さん代参犬支援寄付・回覧シートを用意しました。
応援と意見回覧リレーシート!到着点は基本自由です。
今回 同じことを、この回覧リレーシートでやりたいのです。
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