評価を決めるのは、頑張ったかどうかではなく結果
昨日に続いて子供の話なのですが、私の外出中に息子が妻をどついたようです。妻が息子を注意していたときに「僕の気持ちを散っても分かってくれない!」と怒鳴り、妻が「話にならん」と出ていこうとしたタイミングのようです。
まあ、私は現場にいなかったので、帰宅後に客観的な指導をしておきました。
まず、暴力とまではいかなくても、力で自分の意思を通そうとする行為は論外です。特に自分より体力的に弱い人に対してや、男性が女性に対しては、言い訳の余地はないと思います。それこそ、社会に出て、会社などで暴力を振るったら解雇となるでしょう。
それから、気持ちを分かってもらいたいなど、甘えた考えだ、ということです。やることやって、結果を出せていないから、周りからあれこれ言われるのです。頑張っているかどうかなど基本的には本人以外にはどうでも良いことであり、結果を出していかなければ評価は変わらないものです。学生であれば、勉強を頑張っているかどうかを本人の口から言われても、結果が伴わなければ努力が足りん、となるわけです。社会人になれば、結果を出せなければ仕事がなくなります。
頑張ることは意味がないと言っているのではありません。頑張ることは結果を出すために必要なことです。どれだけ頑張ったといっていても、結果が出てこなければ、がんばり方に問題があるはずで、それを周りは指導しているのです。あれこれ言われるのが頭にくると思うなら、あれこれ言わなくてもどんどん結果を出せば良いだけのことです。
私自身、振り返ってみると、中学時代までは成績優秀でしたので、親や先生から勉強のことであれこれ言われたことはほとんど記憶にありません。要領で良い成績を取っていたので、勉強時間は短いですし、たくさん趣味などで遊んでいました。それでも何も言われませんでした。高校時代から勉強に興味がなくなり、進学校に行きながらも落ちこぼれました。が、高校生にもなると、あれこれ言ってくれることもなく、親からも呆れられ、先生からも放置された感じでした。
社会人になってからは、どれだけ頑張っても業績という結果が出るまでは、常に社長との戦いでした。待遇もひどく、会社でも孤立状態。30歳になるまでは結果が出なかったので、ずっと歯を食いしばっていました。その後業績をプラスできるようになったのですが、嘘のように周りからの圧力はなくなりました。
立場が上になるほど、結果が評価に直結するようになります。社長であれば、業績が悪くても待遇は良くしたい、というのは、どう考えても無理になります。結果を出すこと以外で評価など基本的にはされないのです。そのくらい極端に考えておく方が頑張る気にもなりますので良いと思います。
子供にそこまで極論するか?という気もしますが、世の中のシビアさは分かっておいて損はないと思います。もちろん、結果が出なくても、頑張ったなら親としては褒めたいとは思いますが、それは社会では通用しません。