報告をするのは、自分のためでもある
ちょうど半期末で、社内はほとんどのメンバーが非常に忙しい状況です。そんなときには、報告漏れが起きやすいものです。
「報告より作業が優先」ということもないわけではありませんが、少なくとも、定期的な報告、つまり、「週報」などのように、出すことが決まっている報告は、どれだけ忙しくても、事前に準備することくらいできるものです。お客さんへの報告書と違い、多くの場合、社内向けの報告は形式もシンプルで、記述することに手間暇かかることは滅多にないでしょう。
それなのに、「報告は後回し」あるいは「報告漏れ」が起きるのは、やはり意識の問題だと思います。
報告は、基本的に依頼主や管理者に対して行うものであり、報告が欠けると、仕事の依頼者や管理者が非常に困るということは、簡単に想像できると思います。基本的に仕事というものは依頼されて、あるいは指示されて行うことがほとんどですから、報告をしないということは、仕事をしないということに等しいくらい、大きな問題です。
しかし、「報告は義務」と考えるから面倒になるのではないかとも考えています。
報告は、「自分自身への縛りである」と考えてみるのはどうでしょう?
つまり、報告をしなくても良いと思うと、そもそもやることも面倒になってしまうわけで、自らやるべきことを、「報告対象」にすることにより、きちんと進めようということです。
「報告しなさい」と言われるよりも「**も毎回報告するようにします」と、自発的に申し出る方が、報告を受ける側も好印象ですし、自分自身も怠けなくなる、というわけです。
ミーティングで「こういう取り組みをしよう」と決めたのに、いつの間にか話題から消え去るというのは、どこの組織でも結構あるのではないかと思いますが(そもそもミーティングすら開催されなくなることもある気がします・・・)、そんな適当な取り組みなら最初からやらない方がマシかもしれません。そんなときに、上から「毎週報告せよ」と言えば、報告するためにも放置はしなくなるでしょう。しかし、それはかなり受け身な姿勢で、やっぱり理想は自ら「報告するようにします」と言うことであり、それによって「本気度」を印象づけることができると思います。
今日は定例ミーティングの参加者が少なく、報告書もイマイチきちんと出そろわなかったのを見て、あらためて「報告」に関して考えたのでした。。