プリンシプルのない××
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昔、英国で聞いた話を思い出した。ある男が自動車を運転して高速度で走っていた。警官の訴えは、この男は「公衆に危険を及ぼす速度で走っていた」というのであった。被告の弁護人が法廷で証人台の警官に聞いた。
「被告はどれくらいのスピードで走っていたか」
「時速六十五哩(マイル)位のスピードで走っていた」
「時速六十五哩は公衆に危険を及ぼす様なスピードと思うか」
「然り」
「時速五十哩で走っていたとしてもそのスピードは公衆に危険なスピードと思うか」
「然り」
「時速四十哩ならどうだ」
「さあ、まあ然り」
「時速三十哩ならどうだ」
「否」
「時速三十八哩ならどうだ」
「……?」
「時速三十五哩ならどうだ」
「……?」
この裁判の判決は御想像に委せるが、すべての物事で大事なのはその事自体より、それにかかり合っている原則だということを忘れてはならないと思う。
―白州次郎『プリンシプルのない日本』p62
笑い話のようですが、我々もこういう「ルールの罠」とでも呼ぶべき状況に陥ってしまいがち。原則を忘れてルール至上主義になってはいまいか。
ビジネスパートナーの方と、現在設計している研修(個の意志決定)の打ち合わせをしていたら、『プリンシプルのない日本』は読んだかと聞かれた。研修のインプットとして役に立つから読んでごらん、とは口では言われなかったけれどそういうトーンであったのですぐさま読んでみた。なるほど面白い。
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