私の美術展覧会の楽しみ方
最近だと「ル・コルビジェ展@森美術館」と「BIOMBO~屏風日本の美@サントリー美術館」に行ってきました。
そんなところで、私が展覧会で楽しむための「対話」は以下の3つ。
基本的には感じればいいじゃん~!ってことなのですが、
「アートがわからないのですが、どうしたらいいのですか?」などと聞かれることもあって(特に現代アートが多い)、そんな時は、わからない自分を責めないで欲しいな~と思うし、「対話」が生まれない理由はちゃんとあると思うので、ちょっと解説。
1)作品から感じられるアーティストの人間性との「対話」。
作品の奥に隠れている表現の欲求、アーティストの人間としての成熟度と個性、取組み姿勢などが作品のパワーとして感じながら「対話」する。
「対話」が盛り上がる場合もあれば、一方的に話された感じでコミュニケーションが少ない場合。正直、現代アートには、なんかこどもっぽな~と「対話」が盛り上がらないことや、時代背景や宗教、国の違いなどを理解しないと「対話」が生まれない場合もある。
私にとっていい作品は、そんな「対話」が自分でも予想しないほど広がって、時間を忘れてしまうもの。もちろん自分の鑑賞力、精神的状態、人間的成熟など高めていくことで、「対話」の広がりも変わっていくものだと思うので、自己との「対話」も必要です。
まさに人との出逢いと一緒。もっと言うと恋愛と一緒?(笑)
2)作品が生まれた時代との「対話」。
国の情勢、宗教などアーティストの生きた時代を考え、その上で作品と「対話」する。この時代だからこんな欲求があったんだな~など作品から感じ、時代を生きた人々を思い、人間の普遍的な何かを発見しようとする「対話」。
これは場合によっては知識が豊富だとより楽しめる場合もあるけど、普遍的なテーマを含むパワーある作品だと、そんなことを越えて訴えてくることも多い。
3)今、この時期にこの内容の展覧会が開催される意義、社会におけるインパクト。そして空間設定。
これは一番影響があるかも。どんな「対話」をさせてくれようとしている展覧会なのか?この作品と「対話」をすることは、今の私たちにどんな意味があるのか?貴重な時間、お金を使って「対話」が有意義でなければ、アートと「対話」すること自体が無駄なことと感じてしまう。
また人が多すぎてゆったり鑑賞でききない場合、逆にあまりに堅い雰囲気に緊張しすぎて疲れてしまう場合など、空間設定、場づくりなどの条件が悪くて「対話」が生まれないこともある。
特にアメリカでは国力を支える、民主的な教育の場として美術館が存在してきた。なので鑑賞者の存在を重要と考えている。私たち日本人は残念ながらそのような教育を受けてこなかったこと、そして鑑賞者の「対話」という視点での展覧会はまだまだ少ないような気がしています。
私の考えるアートコンシェルジュは、「3つの対話」という視点で、新しい時代の展覧会を企画することのできる人材。またそんな立場へと地位を上げていくためにも、まずは社会とアートを繋げることで、人間力を取り戻せることを様々な分野で実践したい。もしかしたらそれ自体が、ハコモノから飛び出た新しい美術館プロジェクトなのかもしれないのだけどね。
そんな中でお勧めの一冊。専門的でもあり、問題意識も高く、それでいて単純に楽しく読めます。
海外旅行でほとんどの人が訪れる美術館ってものが一層楽しめるようになりそう~
そして何より、アメリカの成長の底力には美術館の存在があることがよくわかります。で、日本が深刻なほど遅れていることも痛感します。