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デザイン、ブランド、マーケティング……。フェラーリから老舗の和菓子屋さんまで、わざわざ顧客が買いに来るビジネスには、必ず意図や戦略があります。世の中のモノやコトを眺めながら、その意図や戦略を勝手に遡ってみる、そんな頭の体操みたいなことを書いてみましょうか。

その節電に"愛"はあるのか?

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3.11から2ヶ月近くが経過して、「節電」という言葉も以前より身近なものとなり、街のあちらこちらで照明が消えていたり、機器が停止していたりという風景も見慣れてきました。

でもそれと同時に、何だか変だと感じるシーンも最近は多くなった気がします。それは、電気の使用量を減らすという面では正しくても、そこには『誰のために?』そして『何のために?』ということを意識してないのではないか、というある種の嫌な感覚。ひとつひとつの節電という行為以上に、それぞれの背景にあるマインドセットのようなものへ眼がいきます。

首都圏が行動範囲の方はご存じのように、駅や商業施設、電車の中など、あらゆる場所で以前より照明は暗めで、エスカレーターが一部止まっているのも当たり前な状況。なかには、『ああ、これくらいの明るさでも良かったのかも』という場所も意外とあったのも確か。

でも、必ずしも最適化されているとは思えない場面も多いのでは、とも感じます。

例えば、駅や商業施設などでは、本来はバックライトがあることで見せている案内表示までも消灯しているところもあります。これなどは、普通の視力のワタシでも見え難いと感じるのだから、視力の弱い方は困るだろうに、、ということへ想いを向けることはなかったのか?他にも、通路の暗さ加減と安全性は?とか、昼間電気を消した電車の中では、電車が明るいところから暗いところへ入ったときに、急に暗くなった車内で、床の荷物に気が付かず転んでしまった人を見掛けたなんて話しも聞いたりしました。

ワタシが日頃利用する電車の路線では、車内の照度そのものはさほど暗いとは感じませんが、それでも、たまたま座った電車の席が蛍光灯が間引きされた『球抜き』の下だと、人が少ない間はいいけれど、眼の前に立つ人が増えてくると、本を読むにはちょっと暗くて読む気になれないなぁと、感じることはあります。これなどは明るい暗いというより、配置の最適化の問題。


世の中で一斉に節電で電気を落とし始めてから暫く時間も経ってきたせいか、ソーシャルメディアなどを眺めていても、こういったことが気になってくる人は、決してワタシだけではないようにも感じます。

もちろん節電しなければならないことは解っている訳ですが、その上で『やたら消しゃぁいいのか?』と感じることがあるのは、『電気が足りないんだからしょうがないじゃん』という感じがあまりにも眼に付いたときかもしれません。そんなときには、ここのスイッチを入れたり切ったりしているヤツのアタマの中には、利用者への愛情やサービス精神なんてものは欠片もないのではないか、とさえ考えてしまいます。

スイッチを握っている側の人たちの行動が、『節電に協力して頑張っている我が社』を表現する、ある種のアリバイ作り的なものなのか、それとも利用者への愛情ある気配りがあるのか、利用者側は企業の行動に対して敏感に感じ、企業への評価軸も形成されつつあるのではないでしょうか。

また、今の『緊急対応』的な節電をいつまで続けるのか、この先はどうするのかということへの態度があまり感じられないのも気になるところ。球を抜かれた蛍光灯や、間引きされた電灯やロープの張られたエスカレータや自動改札など、『本来のカタチではない状態』が続いている状況は、モノをつくる側の一員としても気になるところですね。照明類をLED化するとか、最適に再配置するとかだけでもコストが大きく掛かる話しなので、そう簡単に決心もできないのでしょうけれどね。『現在』と『未来』、両方への意思が見えて欲しいなぁ。


震災直後では取り敢えずでも、節電へと電気のスイッチ落とすこと自体が『緊急対応』の姿勢としては評価されたかもしれません。しかし、だいぶ時間が経ち、更にはこの先も当分は電気は不足しそうということも見えてきた今の時点では、企業の行動としては次フェーズに進むことも求められているような気がします。

『誰のために』『何のために』ということや、『この先どのような対応を自分たちはしていくのか』といった未来への展望が外部から見えなければ、いくら節電で電気の使用を少なめにしていても、利用者や顧客からは『思いやりのない企業』という見方をされる時期に、そろそろ来ているのではないかとも思うのですけれどね。

何だかモヤモヤしたエントリーになりましたが、これから進むべき方向は復元ではなく、価値の再構築しながらの新しい進化だと思うほどに、気になります。そこには、愛がなきゃいかんのじゃないかと。。






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