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大量消費をボイコットしはじめた生活者視点からのインサイトメモ

ブランドデザインとジャズとオープンカフェ(デザインの話・第五話)

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オープンな場のデザインをテーマに、友人たちとアドリブで語り合った:

高橋博之氏(activist
岩田章吾氏(architect
黒田ゆう氏(realtor


オープンな空白

岩田:装飾が、キャッチ―なディティールが、限定的な機能が、作家のエゴが、「ぬけてる」デザイン=欠如を抱えたデザイン、つまりは「開かれた」デザイン。

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岩田:左はブリューゲルの子供の遊び、右は洛中洛外図。左は左で楽しい絵だけれど、右は金色の雲によって見せるべきところは見せ、それ以外は隠されていること。抽象化された雲が、その下での行為について想像を刺激する。

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廣江:セザンヌ曰く、キャンバスにところどころ残された空白に絵具を塗ってしまうと、すべてが台無しになってしまうのだと。手をつけずに、白地のままおいておくしかなかったらしい。

オープンな空間

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廣江:オープンな空間。そこには内部空間と外部(他者)との接触・交流・交通がある。岩田さんの建築は、どれもカフェにするとイイ感じになりそうですね。

岩田:人が気持ちよく過ごせる場所=カフェって、なんかステレオタイプですよね。飲み食いがある方が打ち解けられるのはそうなんですけど。カフェ以外のそんな場所はないんですかね。イギリスのパブや、イタリアのバルのような。

ヤン・ゲールという建築家、都市デザイナーがいわく、都市には、3種の人がいる。
1.都市を移動する人
2.都市を利用する人(ビラ配ったり、寄付集めたり、音楽を演奏したり)
3.1と2を眺める人
魅力ある街をつくるには、3番目が大事で、そのための場所が必要といっています。卓見です。東京駅や梅田のように人が多ければいいというわけではない。

市民が文芸批評などを通じて社会改革への意識を醸成したのは、ロンドンのコーヒーハウス。日本では、歌声喫茶や、ジャズ喫茶。

廣江:ロンドンのパブの夕方の混雑ぶりはすごい。パリのオープンなカフェも、ちょっとした食事もできるし、アルコールも出すし、あの万能な快適さはすごい。仕事でパリへ行ったときに一緒だった同僚がフランスでの留学経験があって、カフェの固くて薄いステーキが食べたい、靴底のように固くて美味くもないが、懐かしい味だというのでつき合ったけど、たしかにそういう代物だった。

街中でちょっと歩けばカフェ、というのはフランスだけかな。イタリアの街角にも多かった。

ベルギーの街角のビールバーは居心地が良い。ベルギーは朝昼晩、何を食っても美味い。ベルギーの裏通りで偶然見つけたホテル、ここのダイニングルームでの朝食は良かった。ヨーグルトだけで三種類くらい大きなボウルに入れて並べてあったり。

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OPENNESS

廣江:「乙な」ものを評価するような価値観、引き算の美学というのかな、そういうものの、もうちょっと別の言い方ないのかなと。「侘び寂び」とか「Less is more.」とかは、すでに使い古しなので。

高橋さんのアフォリズムは、ど真ん中の直球だけ投げてくるピッチャーみたいで素晴らしい:《人生100年の幸福追求の時代(孤独の時代)にあって、一次産業は単なる食糧供給ではなく、人間が人間として生きるために必要な関係性を育みながら幸せな時間をもたらすという新たな役割も担っていかなくてはなりません。一次産業の意味付けをそのように転換するプラットフォームこそが、ポケマルなのです。》

高橋:球種がひとつしかないんです(笑)

廣江:「乙な」というのは、「甲乙」の「乙」の方をあえて選ぶ美学。岡倉天心の「The Book Of Tea(茶の聖書)」にも、そういう美学が書いてあるのかもしれない。九鬼周造と岡倉天心は同時代なので、「粋の構造」も「茶の本」も、通底するところがあるのかもしれません。(どちらも読んでませんが)

黒田:一般的なお茶会のイメージって、抹茶と和菓子なんだけど、ホントのお茶事は、懐石料理のコースから始まる。軸や花や食器など、その空間の全てを愉しむものらしい。野点とかもあるし。濃茶(こいちゃ)というのは実に美味しいものですね。お茶は、作法として教わると面倒なだけなのだけど、意味のある作法として教わると、全てに意味がある、ということのようです。

廣江:しかし「乙な」ものを称賛する様は、なんかかっこわるい。そのような「ニュアンス」を語ってしまうということが。

岩田:それこそ「オープン」なんじゃないですか?ありきたりですが。

ただ開かれているのではなくて、欠如を内包することで、そこに豊かさを感じさせること、「足らずを知る」デザインであることが重要です。何もないから開かれているんじゃなくて、何かがあるんだけど、至っていない。建築的には「あらかじめ廃墟としての建築」は岩田が目指す境地の一つです。

「足るを知る」とは老子の言葉のようです。ただ面白いのは、老子は器はその内部に欠如を抱えているから、役に立つという、まさに「足らずを知る」ということも言っている点です。ちなみに、この「無」の有用性は茶の本で言及されており、それを読んだライトが自分と同じ考え方の者がいたといって驚いたという話です。

廣江:たしかに。キーワードとして「OPENNESS」はいいですね。

自動車も建築も、本来はクローズドであること(耐候性)に意味があるはずなのだが、人はなぜかオープンなクルマや建築に魅力を感じる。屋根が幌になってるオープンなクルマって、フツウのクルマよりは贅沢なんだけど、そこにちょっと「破れ傘」的な儚さ(はかなさ)もある。

深いところで見る者の衝迫(drive)を刺激(drive)するような、なにかがあるのだと思います。

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廣江:本当に憧れてよいものを提示し現実化する。それがクリエイティブの仕事。

希望は願望ではない。願望は希望ではない。
願望と希望を峻別しつつ、希望をもたらすデザインをデザインすることが希望をもたらす。

アーマッド・ジャマルは、ただ黙って、微笑んで、ピアノを弾く。
マイルスも彼の抑えた演奏に驚嘆したらしい。

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