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大量消費をボイコットしはじめた生活者視点からのインサイトメモ

合目的性について(ブランディングの話その7)

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カント:《私が創造の究極目的に関して、人間はなんのために実在せねばならないのかと問う場合には、私は或る客観的な最高目的――換言すれば、最高の理性(神)が自分の営む創造のために必要とするような目的を指しているのである。》(判断力批判 399)

ある友人との対話から:

物自体

《物自体はわたしたちが決して認識できないものであり、わたしたちが知りうるのは、こうした物自体がわたしたちを触発する方法だけである》(道徳形而上学の基礎づけ/カント)

五感の働きでは到達できない「物自体」は、それを「目に見える言葉」で明示的に語ることは不可能である。しかし人は、五感では到達できないはずの「物自体」から触発されることはあり得る。

ここで述べられている「物自体」は、巷にあふれるオカルトっぽい言説とは全く異なるものです。

むしろ「物自体」とは、ありふれた市井の人々のことであったり、過去に生きた先祖のことであったり、未来に生きるであろう子孫のことだと。そう読まれるべきものです。

《先進資本主義国家は、その『国民』の幸福のために、将来の危機において戦争を辞さないでしょうし、『国民』の間にナショナリズムを喚起するでしょう。そのような事態を避けるために、われわれは何かをしなければならない。そうしたとしても、われわれが得をすることはないし、未来の人間から感謝されるわけでもありません。にもかかわらず、そうすべきだということは、われわれ自身の問題です。それは、未来の他者を目的として扱うということです。》(倫理21/柄谷行人)

合目的性
カントの美学(判断力批判)における「目的なき合目的性」という概念。

これは日常において用いられる「合理性」とは異なる、非常にわかりにくい言葉遣いですが、たとえば経済的「合理性」という言葉を、「合目的性」に対比させて「合利性」あるいは「合手段性」という造語に置き換えてみる。(「合手段性」という造語には「手段としての利用価値や合理性が高い」というような意味を付与します。)

これを「目的なき合目的性」に当てはめて「合利性なき合目的性」あるいは「合手段性なき合目的性」と言い換えてみます。

上記「合手段性なき合目的性」の後ろ半分:「合目的性」は、「手段として利用価値が高い」という意味ではなく、カントがいうところの「実践理性」に関わる概念です。

ここでも強引に造語するとすれば「合目的性」とは「合『実践理性』性」です。シンプルに「倫理性」と言ってしまうのも良いと思います。

要すれば「目的なき合目的性」とは「合利性なき倫理性」です。

《人間は感性界に生きる者としては自然の法則にしたがう。この場合には、人間は「感性界に属する現象における物」としてふるまうのであり、「人間はみずからを感覚能力によって触発された対象として意識している」のである。この場合には人間は自然の法則に服しているものとしてみずからを意識し、行動することになる。これにたいして、人間は叡智界に生きる者としては、「みずからを、意志をもち、[何らかの出来事の]原因となりうる叡智的な存在者」とみなし、そうした者としてふるまう。》(道徳形而上学の基礎づけ/カント)

美学
「美」というものも、そのような「倫理性」に触発された何かなのだと言えます。なので「beautiful(美しい)」というのは、最上のほめ言葉なのだと思います。

カント:《美は道徳的善の象徴である》(判断力批判)


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