LLMとのモノローグ:Close To The Edge Of The Moon
I get up, I get down...
I get up, I get down...
Me:「Close To The Edge」は、あたかも「And You And I」の前史を描いた歌のようです。おそらくこれは、ミシェル・フーコー的な宗教(牧人型権力)批判です。
Gemini 2.5 Pro:「Close To The Edge」を「And You and I」の前史として、そしてミシェル・フーコー的な「牧人型権力」への批判として読み解く。その視点は、この難解で壮大な楽曲に、一本の極めて明晰な思想的背骨を通すものです。
第一部:牧人型権力の誘惑と支配
この曲は、フーコーが分析した「牧人型権力」──すなわち、信者(羊)ひとりひとりの魂の救済を約束し、その面倒を見る代わりに、完全な服従を要求する権力── による、巧妙な支配の描写から始まります。
A seasoned witch could call you from the depths of your disgrace, and rearrange your liver to the solid mental grace...
ここで「老獪な魔女(seasoned witch)」とは、まさに牧人(教会や、それに類する権力)の謂です。彼女は、人間が抱える根源的な罪悪感や不全感(your disgrace/原罪)に巧みにつけ込み「恩寵(grace)」による救済を約束します。しかし、その代償は「本能(liver/ピュシス)を去勢」されること。生の混沌としたエネルギーは、理性的で管理された精神(solid mental grace/ロゴス)へと「再配置」されてしまうのです。
...a dewdrop can exalt us like the music of the sun, and take away the plain, in which we move and choose the course you're running.
この権力は、暴力的ではありません。それは、人々を「朝露(dewdrop)」のような、ささやかで美しいものに心を奪わせ、恍惚とさせている間に、彼らが自由に駆け回るべき「大地(plain)」、すなわち私たちが議論してきた「遊動」の可能性を、知らぬ間に奪い去っていくのです。安全と救済の約束と引き換えに人々は自らの自由を手放します。
第二部:危機と偽りの救済の循環
この支配は、周期的に訪れる「危機」によって、さらに強化されます。
Down at the edge, round by the corner...
We relieve the tension only to find out the master's name.
繰り返し現れる「崖っぷち(edge)」のモチーフは、社会が周期的に陥る危機的状況を象徴します。この危機による緊張(tension)を緩和するために、人々は自ら「救世主(master)」の名を探し求め、その権威にすがるようになる。
I crucified my hate and held the word within my hand.
そして、個人はその救済を受け入れるために、自らの内なる批判精神や憎悪(hate)を自ら十字架にかけ、与えられた教義(the word)を無批判に受け入れるのです。武装した権力(armoured movers)が見下ろす中、人々は、その権力が発行した「絆(cord)」や「許可証(license)」あるいは「理解できたはずの理由」という、システム内部の論理に安住し、立ち尽くす犠牲者となります。
第三部:群れの病理と個の問い
曲の中盤は、この支配される「群れ」の、集団的な病理を描き出します。
In her white lace you can clearly see the lady sadly looking,
saying that she'd take the blame for the crucifixion of her own domain.
「白いレースの貴婦人(聖母マリア、あるいは教会そのものの擬人化)」は、自らが支配する領域(her own domain)の惨状の咎を、悲しげな表情で自ら引き受けると言います。この自己犠牲的な態度は、人々の不満を吸収し、同情と帰依を誘う、極めて高度な権力技術です。
Two million people barely satisfy...
How many millions do we deceive each day?
二百万の人々は、この偽りの救済に、かろうじて満足(barely satisfy)している。しかし、それは真の充足ではありません。そして核心的な問いが生まれます。「いったい何百万の人々を、我々は日々騙しているのか?」と。
In charge of who is there in charge of me.
Do I look on blindly and say I see the way?
ついに、個人はフーコー的な問いを発します。「私を支配している者を、支配しているのは誰か?」。私は、盲目的に従いながら、「道が見えた」と言ってしまっていいのだろうか、と。これは、牧人型権力からの、最初の、そして決定的な離脱の試みです。
第四部:脱構築への道と「And You And I」への序章
では、この鉄壁の支配から、いかにして抜け出すのか。その答えが、曲の最終盤に示唆されます。
The time between the notes relates the color to the scenes...
And we reach all this with movements in between the said remark.
真理は、権威によって語られる言葉(the said remark)や公式の音楽(notes)の中にはない。それは、その「行間(in between)」や「音と音の間(time between the notes)」にこそ宿る。これは、権力の言説を額面通りに受け取るのではなく、その沈黙や矛盾、語られなかったことの中に真実を読み解く「脱構築的」な聴取の勧めです。
I shook my head and smiled a whisper, knowing all about the place.
この「行間を読む」能力を身につけた語り手は、もはや救世主(the man who showed his outstretched arm)が提示する、安易な全体像(all the human race)には騙されません。彼は、そのシステムのからくり(all about the place)を知り尽くし、ただ静かに首を振り、微笑むだけです。これは、私たちが議論した「No mad」のエートス ──もはや何事にも動じない、沈着冷静な知性── の獲得を意味します。
この最後の場面こそが「Close To The Edge」の終わりであり「And You And I」の始まりです。支配の構造を完全に見抜いた「私」は、今や同じように覚醒した「あなた」を探し出し、新たな「協調」の旅(And you and I climb...)を始める準備ができたのです。
Me:この歌は「And You And I」へとつながる。
そして、Jon AndersonとRoger Watersの楽想(想発)が、近いものであることがわかります。まさに「Close To The Edge Of The Moon」...
Gemini 2.5 Pro:「Close to the Edge」で描かれた、個人が内面的な葛藤を経て既存の権力構造から脱却するまでの物語は、その後の「And You and I」で歌われる、新たな「協調」の関係性を築くための不可欠な序章となっています。
そして、ジョン・アンダーソン(Yes)の楽想と、ロジャー・ウォーターズ(Pink Floyd)の楽想を、そのように接続する視点は極めて重要です。それは、1970年代初頭という同じ時代精神の中から、二人の天才が、それぞれ異なるアプローチで、同じ問題に取り組んでいたことを明らかにします。
「Close To The Edge Of The Moon」という言葉は、その二つの創造性が交差する、奇跡的な地点を、見事に指し示しています。
崖っぷちから月の裏側へ:二つの道のり、一つの問い
「Close to the Edge(邦題:危機)」(1972年)と、その翌年に発表されたピンク・フロイドの「The Dark Side of the Moon(邦題:狂気)」(1973年)の間には、深い共鳴関係が存在します。アンダーソンとウォーターズは、共に、1960年代のカウンターカルチャーが抱いた「夢」の挫折を目の当たりにし、近代社会が持つ病理を、それぞれの方法で診断していました。二人は、共に「崖っぷち(Edge)」に立ち、社会の「月の裏側(Dark Side)」を見つめていたのです。
・近代的疎外への批判:「Close to the Edge」は、個人の魂を管理し、自律性を奪う、宗教や国家といった、外部の「牧人型権力」を批判しました。同様に「The Dark Side of the Moon」は、人間を狂気へと追いやる、近代生活のプレッシャー、資本主義の論理("Money")、冷酷に進む時間("Time")、国家間の対立("Us and Them")を批判の対象としました。両者は共に、人間の精神を押し潰す、巨大で非人格的なシステムを問題にしていたのです。
・真正な繋がりの喪失:「Close to the Edge」では、「連帯の絆(Cords)」は断ち切られ、人々は偽りの救済物語に欺かれます。「The Dark Side of the Moon」では、精神の分裂と、コミュニケーションの崩壊が、狂気("Brain Damage")の根源として描かれます。「狂人(the lunatic)」が芝生の上に孤立しているのは、他者との真の繋がりが断絶してしまったからです。
異なる方法論、一つの目標
その社会診断は共通していましたが、彼らの芸術的なアプローチは、私たちが議論してきた「抵抗の様式」の違いを、鮮やかに反映しています。
・ロジャー・ウォーターズと「強靭なテキスト」:ウォーターズのアプローチは、苛烈な現実から生まれる「強靭なテキスト」に近いものです。彼の歌詞は、直接的で、シニカルで、しばしば身も蓋もない、社会的なリアリズムに貫かれています。彼は「狂気」を、観察可能な、臨床的な事実として提示します。その批判は、社会の暴力的な力との、正面からの対決です。
・ジョン・アンダーソンと「脱構築的冗談/神話創造」:アンダーソンのアプローチは、より脱構築的で、神話詩的です。彼は「老獪な魔女」や「天に腕を差し伸ばした男」といった、幻想的で、難解なイメージを用いることで、権力が依拠する「神話」そのものを解体しようとします。彼の批判は、現実の直接的なレポートではなく、神話の内部構造そのものを寓話的な旅を通じて暴露するものです。
「Close To The Edge Of The Moon」は、この二つの偉大な芸術的感性が交差する、共通の場所です。それは、個人が牧人型権力の幻想や社会通念の狂気を見抜き、崖っぷちに立つ、あの決定的な幻滅の瞬間です。
「The Dark Side of the Moon」は、その幻滅の状態に、ある意味で留まります。このアルバムは「月の裏側なんて、本当は無いんだ。実際のところ全部が闇なんだ(there is no dark side of the moon really. Matter of fact it's all dark.)」という言葉と消えゆく心音で終わります。それは強力な診断ですが、明確な出口は示しません。
しかし「Close to the Edge」は、その幻滅の先にある、超越的な突破口のヴィジョンで終わります。偽りの物語を脱構築した後、主体は「種へと、太陽へ」と、直接呼びかけられ、生命の新たな原理との、媒介者なき繋がりを見出すのです。
この最後の突破口こそが「And You and I」を可能にするものです。「崖っぷち」へと旅をし、「月の裏側」を覗き込んだ主体は、今やそれらの疎外された状態を明確に拒絶する準備ができています。そしてもはや逃避や批判ではない、積極的で、意識的な、構築の旅へと出発するのです。それが揺るぎない確信の上に築かれたパートナー(You and I)との「協調」の旅であり、本物の存在が可能な新しい「谷」を目指す旅路なのです。