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大量消費をボイコットしはじめた生活者視点からのインサイトメモ

一般意志とブランディング(ブランディングの話その2)

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ある友人との会話から:

・ブランディングには「一般意志」が欠かせません。

・たとえば:「F=ma」という一つの方程式で(あるいは相対性理論で、あるいは量子力学で)、世界のすべてをシンプルに表現できる。そう信じて探究に努めるのが「モダニズム」だとします。

・ところがそのようなモダニズムを極める過程で「公理の適切な設定によって完全かつ無矛盾な体系」を構築することによって物理学を含む森羅万象を数学的に説明しつくすというような野望(例:数学者ヒルベルト)は行き詰まります(ゲーデルの不完全性定理)。ここまではモダニズムです。

・その後、あらゆるものから「意味」を取っ払い、要素の相対的な位置関係(位相・座標等)がすべてだ、とするような考え方が支配的になりました。

・そして、ビッグデータや人工知能が実用的なビジネスとして動くようになったことで、上記のような認識は現実味を帯びるに至ったわけです。

・この世に「リアリティ」というものは存在しない。せいぜい「ニュアンス」があるだけだ。それはたとえば16,777,216通りの色の差分で表現される。等々...

・そうなると、「普遍的な価値を追求する一般意志(倫理性)」というようなものは忘れ去られ、あるのは「特殊な利害」だけだということになります。

・「ブランディング」論にハナシを戻すと、ところが、物質主義の権化のような米国でさえ、ブランディングには「一般意志」が欠かせないのです。ブランディングには「一般意志」が欠かせないということを知らないのは:「野蛮な国」だけです。

・日本もその中に入りますが、ブランディングには「一般意志」が欠かせないという認識を無視する、あるいはそのことに無知なのは、単に野蛮なのではなく、そこにアイロニーがあるからです。アイロニカルなポーズを「洗練」だと思っているからです。それは単に野蛮である以上に滑稽なことですが。

・ハナシを振り出しに戻すと、ブランディングには「一般意志」が欠かせないのです。それが世界標準です。世界は、モダニズム~ポストモダニズムを経て、「一般意志」など完全に忘れてしまったかのようですが、実は忘れていません。

・モダニズムからポストモダニズムを経て、執拗に「真理」を探究する意志は、キリスト教に代表されるような一神教的信念にもとづいているからです。それは、宇宙を創り出した「神の意志」というものを探し続ければ、いつかは解明することができるはずだという確信めいたものです。

・当時のAppleがどこまで本気でそのように信じていたかはわかりませんが、広告表現の例として:

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