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シンギュラリティ(Singularity)と森敦「意味の変容」およびカントの神学

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たとえば:「y=1/x」という数式において「x=0」という値をとることはできません。

特異点(シンギュラリティ Singularity)とは、そのような座標を意味します。

史上最高齢(当時)で芥川賞を受賞した作家 森敦氏は小説「意味の変容」の中で、以下のような幾何学的図式を提示しています。

【内部+境界+外部=全体概念】
《任意の一点を中心とし、任意の半径で円周を描く。そうすると円周を境界として、全体概念は二つの領域に分かたれる。境界はこの二つの領域のいずれかに属さねばならぬ。このとき、境界がそれに属せざるところの領域を内部といい、境界がそれに属するところの領域を外部という。》(意味の変容)

ここで仮に円周の半径を1と定めると、
内部の点「A」と中心点との距離=a
外部の点「B」と中心点との距離=b
とした場合:
ab=1 すなわち b=1/a
(ただしa<1 b≧1)

点Aは限りなく境界線に近づくことはできるが「a=1」となることはない(∵a<1)。また、点Aは限りなく中心に近づくことはできるが「a=0」となることはない。

内部外部.jpg

《内部+境界+外部で、全体概念をなすことは言うまでもない。しかし、内部は境界がそれに属せざる領域だから、無辺際の領域として、これも全体概念をなす。したがって、内部+境界+外部がなすところの全体概念を、おなじ全体概念をなすところの内部に、実現することができる。つまり壺中の天でも、まさに天だということさ。》(意味の変容)

同様に、カントは主要な著作(純粋理性批判、実践理性批判、判断力批判等)において「物自体」という概念を提示し、以下のように述べています。

《物自体はわたしたちが決して認識できないものであり、わたしたちが知りうるのは、こうした物自体がわたしたちを触発する方法だけである》

《人間は感性界に生きる者としては自然の法則にしたがう。この場合には、人間は「感性界に属する現象における物」としてふるまうのであり、「人間はみずからを感覚能力によって触発された対象として意識している」のである。この場合には人間は自然の法則に服しているものとしてみずからを意識し、行動することになる。これにたいして、人間は叡智界に生きる者としては、「みずからを、意志をもち、[何らかの出来事の]原因となりうる叡智的な存在者」とみなし、そうした者としてふるまう。》

(道徳形而上学の基礎づけ)

情報処理技術のレベルが、ある一線(Singularity)を超え、コンピューターの性能が人間の能力を上回ることが予想される21世紀において、人は自由な意志をもった「叡智的な存在者」としてふるまうことができるかどうか。それが問われています。

A.I.は電気言語の夢を見るか?
http://blogs.itmedia.co.jp/jrx/2016/11/aiaiai.html

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