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大量消費をボイコットしはじめた生活者視点からのインサイトメモ

自由で平等

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【社会構成体を「交換様式」から捉えなおす柄谷行人氏のインサイトについて】

A:ナショナリズムがガクガク
B:政治はグダグダ
C:経済はガタガタ

上記のような問題は、
もはや解決の端緒が見出だせない状況にあるのではないか。
そして、これらA、B、Cの問題の枠から我々は抜け出せないのではないか。
そうした所謂「閉塞感」を脱却するには、どうすればいいのか。
そのためのドライバーとなるべきイノベーションが足りないのではないか。
しかし、こうした経済誌に載っているような議論では、
真の解決は見出だせないと僕自身は感じています。

学生時代から柄谷行人氏の著作に注目し、愛読してきました。
2001年刊行の「トランスクリティーク」に着手した90年代初頭から、
近著「世界史の構造」および「哲学の起源」に至る、
20年以上の年月をかけて社会構成体の歴史を「交換様式」から読み直す試み、
すなわち「世界史の構造」を包括的に捉えなおす試みを柄谷氏は続けておられます。

[交換様式の4つの象限]
交換様式A:
贈与と返礼という互酬交換
社会構成体=ネーション(平等で不自由)

交換様式B:
略取と再分配または服従と安堵
社会構成体=国家(不平等で不自由)

交換様式C:
商品交換(貨幣と商品)
社会構成体=資本(不平等で自由)

交換様式D:
定住によって失われた遊動性の高次元での回復
社会構成体=普遍宗教が可能性を開示(平等で自由)

この中で、交換様式D(平等で自由な社会の在り方)は、
未だかつて永続的に存在したことがなく、人々の視界の中に入ってきません。
そのため、我々はナショナリズムと国家主義と資本主義が錯綜する
構造体の中を堂々めぐりしてしまうしかない。

それは一体どのようにして実現可能であるのか?
模範解答を示してくれる「参考書」は存在しません。

柄谷氏は近著「哲学の起源」の中で以下のように述べています。
『Dに関して重要な点は、第一に、
それがA・B・Cと異なり、現実に存在しないということである。
第二に、それは人間の願望や理想の産物ではないということ、
むしろ人間の意志に反して生まれてくるということである。』

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【哲学の起源/柄谷行人】より:
どんな社会構成体も四つの交換様式の接合としてある。ただ、それらはどの交換様式が支配的であるかによって違ってくる。たとえば、氏族社会では、交換様式Aが支配的である。現実には交換様式BやCの要素も存在するのだが、Aによって抑えられているのである。つぎに、国家社会では、交換様式Bが支配的であるが、むろんここには交換様式AやCも存在する。たとえば、農村共同体が存在し、都市には商工業がある。ただ、それらはアジア的ないし封建的国家によって規制されているのである。つぎに、近代資本制社会では交換様式Cが支配的となるが、旧来の交換様式AとBは存続する、ただし、変形されたかたちで。封建国家は近代国家、そして、解体された農業共同体は「想像の共同体」(アンダーソン)としてのネーションに変形される。かくして、資本=ネーション=国家という接合体が形成される。それが現在の社会構成体である。
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