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大量消費をボイコットしはじめた生活者視点からのインサイトメモ

理念について(構成的理念と統整的理念)

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理念とは何かということがシンプルに整理されていない限り、理念を保持することはできません。備忘録として以下のインタビュー記事から抜粋しておきたいと思います。

インタビュー記事:
世界危機の中のアソシエーション・協同組合
柄谷行人と生活クラブとの対話

『カントが理念を、二つに分けたことが大事だと思います。彼は、構成的理念と統整的理念を、あるいは理性の構成的使用と理性の統整的使用を区別した。構成的理念とは、それによって現実に創りあげるような理念だと考えて下さい。たとえば、未来社会を設計してそれを実現する。通常、理念と呼ばれているのは、構成的理念ですね。それに対して、統整的理念というのは、けっして実現できないけれども、絶えずそれを目標として、徐々にそれに近づこうとするようなものです。カントが、「目的の国」とか「世界共和国」と呼んだものは、そのような統整的理念です。』

http://www.kojinkaratani.com/jp/essay/post-40.html

ここで柄谷氏は、未来社会を提示するようなもの、すなわち「通常、理念と呼ばれている」ものを構成的理念とするカントの考え方を援用し、そうした「理性の構成的使用」に対して批判的な視点を示しています。むしろ「未来について語る者は反動的である(by カール・マルクス)」と。

柄谷氏の謂わば「理念についての理念」は、理性の統整的使用、すなわち「けっして実現できないけれども、絶えずそれを目標として、徐々にそれに近づこうとする」理性の働きを重視するものです。

カントが生きた時代から約200年の後、幾たびもの壊滅的な戦乱を経て、カントの提唱した世界共和国の理念が国際連盟・国際連合として具現化されました(自然の狡知)。 その国連の現実の姿も、カントの描いた理念とは程遠いものです。

しかし、そこで人はカントを嘲笑すべきでしょうか。

「けっして実現できないけれども、絶えずそれを目標として、徐々にそれに近づこうとする」行動、 理性の統整的使用こそが真の成長(development)をもたらす。

Karatani_book.jpg

僕はそのように考えています。

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