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高校卒業直後にアメリカの全寮制高校に飛びこみ、文化、言語、価値観、人間関係、そして勉強で七転八倒しつつ適応していった、5年間の留学生活から学んだレッスンを、具体的エピソードを交えて紹介。

2度目のTOEFLでまたも玉砕する

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留学直後の右も左もわからなかったころに挑戦した初めてのTOEFLでは、430点台とさんざんな結果でした。あれから半年後の10月、リベンジをすることになりました。満を持しての2度目の挑戦です。


1回目とは異なり、そのころは英語のヒアリングも問題なくなっていました。また、単語量も圧倒的に増えていましたし、読み書きのレベルも格段に進歩していました。学校のふだんの授業だってそれなりに中高生についていけています。今回はかなりの自信がありました。



だから内心では、

「もしかして、目標の500点越えイケルかも!さくっと合格点とっちゃうかも!」

と目論んでもいたのです。試験当日、私は意気揚々と会場のアイオワ州立大学に向かいました。



テストは落ち着いてこなすことができました。焦ることもなく、まずまずの手ごたえもありました。当時の記憶は定かではないですが、リスニングも問題なかったと思います。たぶん500点は超えるだろうと、楽観して結果を待ちました。




しかし



しかし・・・





1ヶ月後に戻ってきた結果は、忘れもしない468点でした。スコアアップはしましたが、ほんの30点だけ。

「30点だって、進歩じゃないの」と思うかもしれませんが、半年間寝る間も惜しんで勉強に没頭した私にとっては、「たったの30点ぽっちか・・・」とショックだったのです。郵便ポストの前で文字通り、orzのごとくその場に崩れ落ちました。たしかその日は、終日ゾンビ状態で落ち込んでおりました。

でその後、一人反省会で課題を分析してみました。

*リスニング(まずまず問題なし)
*長文読解(改善の余地あり)
*文法(改善の余地あり)

課題は読みと文法のようでした。



「ううむ、今まで以上に難解な長文を読み、参考書の中身を頭にたたき込むしかないのか。。かなりやったつもりなんだけど、まだ足りていないということなのだな・・・」

とはいうものの、これ以上何をどうすればテストスコアがアップするのか、正直見当がつきませんでした。「あんなに頑張って結果が出ないなんて、どないせえちゅうねん」と、疲れがどっと押し寄せてくるような、気の滅入る想いでした。



すると、落ち込んでいた私を見たエチオピア人の女の子たち数人が、私を捕まえて、こう言いました。


「ジュンジ、あなたがものすごく努力しているのはわかるわ。でも、今のままデスクにかじりついて勉強を続けていても、伸びないんじゃないかと思うの。あなたの勉強スタイルはちょっと偏っているような気がするわ」


慰めてくれる心遣いは有り難かったですが、すでに英語をペラペラに操ることができる彼女たちに言われても、あまり説得力を感じません。正直にそのことを伝えると、こう切り替えしてきました。


「そうね。でも、私たちもジュンジも、英語を母国語としない留学生としては同じ立場でしょう?そんな人間の意見として、ちょっと聞いてほしいの。私らだって、ジュンジと似た経験があるからね」


なるほど。そう言われてみると、英語スキルも留学期間も私のはるか先をいく彼女たちは、いわば先輩です。やはり耳を傾けるべきだと思いました。


「じゃあ、具体的にどうすればいいんだろう?大学の来年9月の新学期に間に合わせるため、僕は来年の5月までには500点をぜったいに越えないといけないんだ。これ以上足踏みはできない。でも、得点アップのために、何から手をつけるべきなのか、正直わからないんだよ」


すると、彼女たちはニッコリ笑い、こう言い放ちました。


「Stop studying and start talking to people. You need to enjoy the conversation.」
(勉強はいったん忘れて、もっとおしゃべりをして楽しみなさい)



長文読解と文法に課題ありと見ていた私は、「はぁ??おしゃべりなんて悠長なことやってられないよ。こっちは時間がないんだ」と反射的に思ったのですが、ちょっと待てよと思いとどまりました。


(おしゃべりごときでTOEFLの得点がアップするわけはない。そんな甘いものでないことはよくわかっている。だけど、デスクでの勉強にもほとほと疲れた。それにこれまでの努力もたいして実を結んでいない。だったら、ブレイクのつもりでいったんガリ勉スタイルを捨てて、しばらくは気の向くままおしゃべりをしてやろう)


つまり、若干のヤケクソが私を彼女らのアドバイスに従わせたのです。


なにしろ、勉強ではなく、ただ彼女たちの話し相手になるだけです。非常にラクにはなりました。

「こんな生活でええんやろうか。ラクしすぎとちゃうやろか」と頭の片隅で感じつつも、ひとまずアドバイスを信じて、勉強は最低限にとどめたのです。




このことが、そのまた半年後の3度目のTOEFLの再チャレンジで見事に花を咲かせるとは、このときは想像すらしていませんでした。

つづく



代表 中山順司
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