オルタナティブ・ブログ > 20年前の留学を、淡々と振り返る記録 >

高校卒業直後にアメリカの全寮制高校に飛びこみ、文化、言語、価値観、人間関係、そして勉強で七転八倒しつつ適応していった、5年間の留学生活から学んだレッスンを、具体的エピソードを交えて紹介。

カフェテリアで、謎の老婆に遭遇する

»
翌朝、促されるままカフェテリアに行くと、校内の寮生全員が集まっていました。これから全員そろっての朝食です。ただ、バスケチームの遠征メンバーがいないためか、空席が目立ちました。

フロアには、6名が座れる丸テーブルが12~13ほど並べられていました。

私のテーブルには、鋭い眼光をした背の低いエチオピア人高校生、メキシカン風と韓国風の小学5年生くらいの男の子が2人、そしてなぜか70歳ほどの白髪のお婆さん、が向き合って座っていました。

「・・なんでお婆さんがいるんだろう。生徒ってことは・・ないよな」

と疑問に思いました。それによく考えると、人種も年代もバラバラの異様な食卓です。


食事の準備は当番制らしく、エプロンをした生徒らがテーブルにパンを配ったり、食器を並べてくれました。たしかメニューは2種類の食パン、バターとジャム類、コーンフレーク、オートミール、あと牛乳だったような気がします。そして、短いお祈りの後、食事が始まります。
※ここはクリスチャンスクールなのです。

そういえば、これがアメリカにやってきて初めての食事になります。前日はまともな夕飯をとっていなかったため、相当空腹でした。さっそくパンをひと口かじりました。


「味がしない・・・」

おいしくないです・・。しかもパサパサで咀嚼しにくく、なかなか喉を通りません。牛乳で無理矢理流し込み、気を取り直してコーンフレークにむかいます。

じつは私の家庭では、コーンフレークは貴重なデザートという位置づけでした。母がたまに買ってきてくれると、一箱を兄弟で奪い合うようにして食べたものです。恥ずかしい話ですが、幼い頃の夢は、「死ぬほどコーンフレークを食べる」でした。

そんな夢のデザート(?)が、洗面器のオバケのような容器に山のように盛られています。これがなんと食べ放題。やった、永年の夢が叶ったと胸を躍らせながらスプーンを口に運びました。



「まずっ」

第一印象は、「なんじゃこりゃ?」です。
パリパリ感はあります。しかし、噛んでも飲み込んでも味がしません。固い紙でできているのか?と疑うくらいのまずさにビックリしました。

辺りを見回すと、みんな砂糖をまぶしています。なるほど、味がしないから砂糖で甘くしているのかと私もマネをしましたが、ただ甘くなっただけでまずいことに変わりはありませんでした。

でも、郷に入れば郷に従えですし、贅沢は言ってられません。それにお腹は減っていたので、まあ黙々と食べていました。


すると、それまで黙って食事をしていた隣の白髪のお婆さんが、私に向かっておもむろに話しかけてきました。


つづく



代表 中山順司
Comment(2)