「意見なし」という意見
寒くて何も考えたくない病に侵されています。松井です。
こんな時に話を聞かされた上に意見を求められても「そんなもんないわ」と言いたくもなります。
今日はそういう話ではありません。
世間では「意見を活発に言おう」「会議では積極的に発言を」なんていことが良しとされる風潮がありますが、ちょっと言ったん落ち着いて考えてみましょう。意見を言うなというわけではないのですが。
考えるためにはまず、意見がないということがどういう状態かを考えます。「意見を言わないのは頭すっからかんだからだろ」と言いたい気持ちもわかりますし、7割くらい合っていますがここはひとつ穏便に。
意見がないということはつまり、ある事象に対して頭の中から思いや疑問が生まれないということです。こうした状況をコップと水で例えましょう。
下の絵のようにコップの中が水で満たされるためには条件があります。
コップがやたらと芸術的なことは気にしないでください。
これを人の頭に置き換えてみると、意見がでてこないのは本当に考える力がないか、考える材料が頭の中にないかのどちらかということが言えます。
材料を与えているのに意見が出ないんだから考える力がないんだろう。そう思う方は一呼吸おいて次の絵を見てください。
あなたは考える材料を提供したつもりでも相手が受け入れられる形でなければそれは材料になりえないのです。説明を理解出来ないのは頭が悪いから。そういってしまうのは簡単ですが、そもそも意見を求めるのですから、あなたの一方的な要望なのです。
であれば相手のレベルを考えて、そのレベルにあわせて話を噛み砕くというのはあなたの仕事です。何かを求めるならまず与えるというのが礼儀と言うか作法と言うか取引というか、なんたらかんたら。
そんなわけで、意見を言わないのは馬鹿だカスだと言う前に、与えた情報が相手にとって材料になっているか、まずは自分を疑う必要があるのですね。相手の意見がないというのは「あなたの説明はわかりにくいよ」という意見なのかもしれません。