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日本の会議が無駄な理由 〜あるいは調整コストの一番痛い部分

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こんにちは。秋晴れですね。日本晴れですね。シリコン晴れーですね。

久々にどストレートなダジャレを交えてみました、韻も踏んでヒップホップ調です。

皆さんのご機嫌はいかがでしょうか。松井です。

ところで皆さんは会議をやってますか?

やたらと大勢が参加する会議で、居眠りする人もちらほら見える始末。居眠りなんてけしからん、とご立腹の方もいるでしょう。しかし、居眠りをむやみに批判するのではなく、その理由に目を向けてみるとまた違った側面がみえてきます。

会議で話をしている人は流石に眠ったりしません。また、会議で決まった内容が自分の利害に直接関係するような人も眠っている場合ではありません。ですから、会議で最後まで起き続けているのは会議内容の当事者であると言えます。

その逆に会議で平気で眠る人は実はその会議について当事者ではない可能性が高いです。参加している以上当事者意識を持てという意見はもっともらしく聞こえますが、この意見は若干ずれています。「当事者意識」は当事者になって始めて持つべきものです。

そういうと、参加者は会議の当事者だろうという反論が聞こえそうですが、会議の当事者ということには全く意味がありません。会議というのはある目的を達成するための手段なので、手段に対する当事者と言われてもなんじゃらホイという感じです。

ですから、会議に参加する人というのはその会議の決定が直接影響する人でないと意味がないと思います。

さらに、会議を行う場合、当然参加者のスケジュールを調整する必要があります。参加者が多くなるとその分調整の手間が大きくなり、日程を決めるのに時間がかかります。こうした調整コストを省くためにも、会議への参加者は最小限にとどめたいものです。

まだあります。

上記のように目に見えるコストについてはまだわかりやすいのですが、もっとわかりづらく、上記のコスト以上に重要だと思われるものがあります。

それが、機会損失コストです。

会議に参加するということは、参加している時間中行動が制限されます。そうすると、例えば営業の人なら新規顧客獲得のために使える時間が減りますし、エンジニアであればシステムの開発に使う時間が減ります。こうして利益につながる新たな機会を逸するコストがかかってしまうのです。

会議に参加する人数が増えれば増えるほど、この機会損失コストが膨らんで行くのです。そういったわけで、会議というのは参加する人を厳選しなければなりません。会議の参加者としてふさわしいのは決定権を持つ人、そして話を補完する説明役の二人くらいでしょうか。

日本のマーケットが縮小傾向にある現在、新たな機会を逃すことは命取りになります。新たな機会獲得という観点を軸に、業務のあり方を見直す必要があるでしょう。

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