AppleとMicrosoftはスマフォ時代になっても立ち位置が変わらないのか
ここのところスマートフォン界隈がちょっとまた違う感じで盛り上がってきているように感じます。
こんばんは、松井です。
あっさり本題に行く日だってありますよ。
今年の秋頃にはWindows Mangoがリリースされるかと楽しみにしていたら、Nokiaも新製品ラッシュでしかも提携したてのWindowsではなくSymbianということです。5年くらい前はNokiaといえばあこがれの存在で、当時は唯一スマートフォンと呼べる端末を販売していたメーカーのように思います。
すみません、PalmとかWindows CEとか知らない世代なもので。。。
そういった中でも僕の注目はiPhoneとWindowsフォンなわけですが、今なぜAndroidよりもWindowsかと、疑問を抱く人はいますか?そこそこいると思っているんですが、勘違いだとしたら今日のエントリーはここでジ・エンドだったりします。
僕がWindowsを激しく気にしているのはそのインターフェースです。新しいとかデザインが変わったとか、タイルが使いやすいとかっていう部分ではなく、端末としてのスタンスに対してすごく興味があります。
一見してiPhoneと違うのはホーム画面です。iPhoneではアプリが整然と並んでいるのに対し、Windowsでは最新情報の通知が最初に来るわけですね。この違いってすごいなぁというか、今後スマートフォンを購入する人にとってはほんとうの意味で二極の選択肢が出てきたと感じています。
この違いは何かといえば、体験のAppleと情報のMicrosoftと言えるのではないでしょうか。
iPhoneのホーム画面はアプリで溢れています。利用者はまずこれから何をしようか、どのアプリを起動しようかという選択から入ります。一方でWindowsフォンは今ある最新情報は何か、というところから入っていくのですね。これはプッシュ通知とかバッヂでの通知とかいう次元では無いほどの違いがあると思います。
iPhoneはひとりひとりの体験がネットを通じで伝播していき、強烈な共感を産んでいきます。ところがWindowsフォンは自ら情報にアクセスし、最新の共有された話題を掴みにいくのです。
この関係、SNSで言うとiPhoneがTwitterでWindowsフォンがFacebookといったように置き換えるとしっくり来るのではないでしょうか。
この2つのデバイスはそれぞれに強い個性を持った人格があり、それゆえに冒頭で述べた通り、ユーザーに取ってほんとうの意味での選択肢となりうるものだと思います。そして、ここまでガン無視してきたAndroidはこれら2つとは全く違う思想で出来上がっているようです。
というより、Androidには思想や人格はなく、使う人の写し鏡といった性質があるように思います。ホームに置くのは情報でもアプリでも友達のプロフィールでもいいのです。ホーム画面に置かれているものが、そのまま利用者の優先順位を表す、そんなOSがAndroidではないかという気がします。
そのせいで、僕にとってはあまり面白みを感じないものになっているのですが、自分の思い通りに出来るデバイスを欲する人も多数いるでしょう。今までは状況的にiPhoneとAndroidが対立する存在として扱われてきましたが、今後は全く別の軸で成長していくのではないかと思います。
そうなると結局はMac、Windows、Linuxという関係になり、そっくりそのままベースになっているプラットフォームを踏襲しているということになります。デバイスやOS、アプリケーションの本質というのはこうして何時までも変わらないものなのでしょうか。
何にしても今年の終盤以降が、スマートフォン時代の本当の始まりになるような予感がしています。