文化行事は非常時も、要ります
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最近、すっかりブログ本数が減っておりました仙台の石井です。
科学館に行くと、平和な世界があって、プラネタリウムでは星座の話や、宇宙開発の歴史とドラマがあったり、手動で風を起こして風力発電したり、恐竜の卵を触ったり、会話するロボットを見たり、ドラえもんの科学道具の展示を見たりして気が付けば5時間もいました。五時間。普段だったらそんなに遊ぶ体力もないですが、久々に、文化に触れて、その間、平和な世界に住んでいるんだなという時間を全身で感じられる時間で、子供たちは昔のように屈託なく走り回っていて、・・・、書いていて言葉に詰まりますが、平凡な日曜日がありました。
文化行事は非常時も、要りますよ。確かに。
今すべきではない、資源の無駄だ、有事の際に危険だ、という声が東日本のあちこちで聞こえてきますが、非常時の中でも、例えば、みんなで天幕貼って映画見たりしてその間だけでも"文化"という空気の安寧に浸るようなことって、とても大事なことだと思いました。(震災から数日後には仙台の知人の中には、そういう声もありました。実現は難しく、声だけになってしまいましたが。)大人は自分で自分の心にある程度、メタ認知をして、自己コンサルティングをしていくようなところがありますが、子供の心は単一で小さくて、見た刺激をフィルターなしにためていって、言わないだけで、言う方法を知らないだけで、いっぱいいっぱいなんだと思います。
沿岸部ではまだまだ苦しい方が沢山います。亡くなった方もたくさんいるのも事実です。でも、生き残った子供たちを健やかに育てることも、すぐに必要になるわけで、やたらと文化行事を取りやめてしまうのは避けるべきで、気を吐いて、大変だけどない中でも、やっていくべきだと思うんです。大変です。被災地に近いほど資源がないので。でも、無い中でなんとかする知恵は苦しい時ほど引き出されます。まず、やろう、という強い意志を持つこと。後は、ない中でできるだけトライしてみる。こういう時だからこそ人々に文化的な時間を提供したいと思っている主催者さんならば、遠慮するべきではありません。私は薦めます。
むろん、カラ騒ぎを虚しくする、というのとは違います。無い中で、やみくもに盛り上げていこうというだけでは、それに陥りかねないので、平時よりもより、企画力、運営力の問われるところではありますが、それも乗り越えて、やれる限りは、文化を街に。
そういう社会知性を私たちは身に着けるべきであると、考えています。
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