Crocsってお洒落ブランドだったっけ?(2)インディーズミュージシャンにも愛され、バッタもんも台頭し。
★自分とクロックスの出会いと付き合い
クロックスが日本に上陸したちょうどその頃、私は新宿区のとあるライブハウスが主催するレーベルの売り出し中若手ミュージシャンとしてリリースツアーで全国を飛び回っていた。
ツアー中の生活といえば、興行先の地元バンドが丹誠込めて企画してくれたライブハウスで思いっきり演奏をぶちかまし、地物(じゃ無い時も多々あるが)でテーブルが一杯の歓迎の宴に参加して地元のアーティストたちと交流を深め、宴が終わった途端にメンバー間でひとりだけ「飲めない」というビンボーくじを引いた奴が次の興行先へと車を走らせる。
移動中にノートパソコンを開き、WEB制作や紙媒体のデザイン、グッズデザイン等の仕事をこなし、成果物をインターネットカフェ的なところからオフィスのスタッフへ送信し、そのまま寝る。
起きる。ご飯を食べる。リハーサル。仕事する。ライブハウスからまた成果物アップ。
そしてまたライブ。。。。
隙間なく、止めどないループ状態だった。
そんな時に、ずっと同じルーチンの中で溜まり始めるストレス的なものから解放してくれる、
「メンテナンスフリーな靴」
それが私にとってのクロックスであり、ケイマンだった。
めちゃくちゃ軽い上にただのゴム(Crocs社特有の素材で、クロスライトという。特性はWikipedia参照)なので、汚れたらばしゃばしゃと水で洗えば良い。おまけに抗菌効果でニオイも抑制してくれる(この効き目は長く持たないが)このシューズは、ほとんど旅人化しているようなインディーズバンドには最適。
1ツアー(1ヶ月程度)で1足履き潰すような感じでもうギターのピックやドラムのスティックと同じく、必需品であり消耗品だったのだ。(初期の製品は底の減りが劇的に速かった)
おまけに目立ってなんぼの商売なミュージシャンにとってケイマンの素材特性上限りなく発色が良いカラーバリエーションがもう最高!
という具合に、当時の私たちの活動にすごく似合っていたように思う。
★バッタもんが台頭した時代
履き始めてから2年位して、あちこちに中堅規模の量販店やオークション等で流通しているバッタもんが目立ち始めた。
しかし、当時のバッタもんは相場1,000円未満と、激安である代わりに(今もそう大きく状況は変わってないが)オリジナルに比べて、絶望的にカタかった。
当時僕も一つ試してみたが、裸足で履いたら足が痛い、典型的な粗悪品状態だった。
その時気付いた事、ケイマンはメイン素材だけでなく誤脱防止のベルトを止める樹脂製の部品(リベット)も非常に良くできていた。
粗悪品の接合部品はバリがあっていちいち皮膚を引っ掻くという、とんでもないものだったのだ。
(バンド活動は動きが激しいから、ちょっとしたバリでも負傷してしまう)
しかし、よく見たら世の中にはケイマンのバッタもん(以下、そろそろ一応「類似品」と呼ぼう)が溢れ返っていた。
ケイマンほどの快適さは無いものの、類似品は発色だけはまあまあだった為、周りの人にもどんどん「ケイマン型の類似品」は広まり続け、ケイマンのビジュアル的なインパクトがなくなっていって、インディーズバンド達はステージ上でほとんどクロックスを履かなくなってしまった。
インディーズバンド(東京の彼らは特に)は、ある分野でファッションリーダーでなくてはならない。曲や歌はもちろん格好やステージ上での仕草ひとつとっても、「カッコ悪い」なんて許されないのだ。
そんなバンドマンにとって、インパクトがなくなった靴はステージ上の華ではなくなってしまった。
しかし長くツアーに従事していたバンドで、オフタイムをCrocsで過ごしているバンドは今も少なくない。それほど快適なシューズなのだ。
演奏中にくる気分の高揚にまかせてどんなシューズよりも高く自由にジャンプでき、ライブ中に楽器を放り投げモッシュピットに突っ込もうと、バスドラムに足を引っかけて天井にぶら下がってみようと、決して脱げないし、誰もけがをしない。させる心配も(かなり少)ない。そんな類希なシューズだったのだ。
そしてちょうどこの頃、子どものエスカレーター巻き込み事件がささやかれていた。
私にいわせれば素材をちょっと観察すれば「エスカレーターではちょっと注意しなきゃならない製品だな」という事くらいはわかりそうなものだが、そんな事件も世の中的にはこなれてきて「企業責任を追及するほどのもんじゃない」となってきたようである。今では親の敵のごとく流行った「樹脂製のサンダルをお履きのお子さん。。。エスカレーター」的な張り紙もほとんど見なくなった。(クロックス側でも何らか素材の調整を行ったのであろう。)
ちなみに私の子どもはクロックスを履いて元気にエスカレーターに乗り降りしている。