結局Cloudって何?(5)1990〜2000年代のIT業界とパソコンの努力の結晶
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近年まで培われてきたIT業界とパソコンの努力の結晶は、私たちの生活の隅々にちりばめられた。
言葉を変えれば、コンピューターがここまで経済に密接に関連してしまった今日では、両者の関係は望む望まないに関わらず、切っても切れないほどひっからまってしまっている。
たとえばインターネットもそのうちの一つに入る。
・パソコンを起動させて、終了させることができる。
・プロバイダから送られてきた、注意事項が詳細にびっしりとかかれた「かんたん接続マニュアル」(機器の使い方を示した100Pほどのマニュアルの抜粋版)を読んで機器を接続することができる。
以上の事ができれば、あとはインターネットエクスプローラーの使い方を覚えれば、動画を見たり、写真を見たり、人と音声や互いの映像をやり取りしながら会話したり、ブログを書いたりするインターネットが利用できる。
一度インターネットの便利さを覚えた人は、パソコンを買い替えるたびに起動や終了の方法が変わろうと、ある日突然「ウィルスに感染する可能性があります!」というメッセージを見てはウィルス対策ソフトを買いに走ろうと、一度体験した「便利さ」を捨てられずになんとか追従しようとする。
面倒なインストール作業でさえ、身近な知人からの「画面が出たらとりあえずOK、OK、承認するとか押しとけば大丈夫ですよ」という言葉をたよりになんとか完了する。
冷静に考えてみれば「パソコンと付き合い続ける」事の道のりはかなり険しく、ただ日常使っているだけでもいろんなトラブルが起こる。
しかし一度パソコンで出来る事を生活習慣に取り込んでしまうと、それを手放すのは非常に難しく、生活の中にこれでもか!と食い込んでいるケースがままある。
いまさら変えられないEmailアドレスの為にプロバイダを解約できないでいたり、来年の年賀状を印刷する為の住所録、忘れちゃいけない(ような気がする)ページを集めたインターネットのブックマークリストなど、自分のパソコンの中にある様々なものを守ろうと、今日も消費者は面倒なアイツとの付き合いを続けているのだ。
しかし、今さらパソコンから得た素晴らしい価値を手放すつもりなど毛頭ない。
どんなに継続コストがかかろうとも、どんなに新しい技術や仕組みに古い資産が駆逐されて陳腐化してしまおうとも、消費者がそれに納得しているうちは仕組みは継続していく。
そうして泥沼にはまった1990年代のテクノロジー業界と消費者は、「パソコンでないと生み出せない成果」で世の中を埋め尽してしまったのだ。
そしてパソコンは先進国と呼ばれる経済区域で営まれる生活の中で「興味がある人は持っていて当たり前のもの」の地位を獲得し、様々な経済活動や趣味の表現の強力な手助けとなる存在、というイメージを確立した。
しかし、そんなパソコンと人間の関係に転機が訪れる。
ある有名ゲームソフトの大成功の陰に隠れた、テクノロジー業界の小さくて偉大な失敗が風化しはじめた頃から、その足音は聞こえていたのだ。
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