”まかない” タイブログ
2012年5月頃の話。
とある社長さんが久しぶりにタイに行きたい
というのでバンコクを案内した。
5月は雨季だから、毎日雨がじゃじゃ降りだ。
ウイスパーじゃあるまいしバンコクの雲は
どれだけ水分を吸収していたんだっていうくらい
太刀の悪い雨が一気に降る。
強運晴れ男の社長と行動してたその日も残念ながら
当たると痛いくらいの雨が突然降ってきて、
僕らはたまらず近くのタイ料理屋に飛び込んだ。
この社長さんは食べることが好きで日本でも
タイでも豪快に食べ物を食べる。
見ていて気持ちが良いけれども、いつも頼みすぎて
食べきれずに料理が残ってしまう。
日本ではテーブルいっぱいにたくさんの料理で
埋め尽くすことは容易ではないけれども、
タイなら料理の値段が安いから日本人なら
テーブルを余すことなく料理で埋め尽くすことが出来る。
この料理の数は4人でも食べきれないほどの量だ。
この後に魚の料理やら唐揚げやらと追加で届いている。
タイ人からしてみれば「金持ちがたくさん料理を
頼んでるぞ」ということになる。
僕以外はお酒を飲まないから、みんな米もオカズも
バクバク食う。”喰う”と書いた方がニュアンスが
伝わるかもしれない。
タイ好きには、タイに言ったら”喰う”が
楽しみという人も少なくない。
僕も食べることが大好きだ。
飲むし、食べる。
大声で笑う大柄の笑い男が4人揃うっても、
腹が減れば無言になって喰う。
街の喧騒をBGMにして夢中で喰う。
そして思ったとおり、注文した全ての料理を
食い尽くすことは出来なかった。
僕は残すともったいないオバカ(←)が出るからと
普段は極力残さないようにしているが、
今回は完食するのは無理だった。
腹が180%満たされたところでふと周りに目をやると、
アルバイトの学生がチラチラとこちらを
見ていることに気がついた。
店を見渡すと、学生服姿のアルバイトが多い。
身長から判断して恐らく小学生~中学生だろう。
「あー、日本人が珍しいんだな」と思って
気にも留めなかった。
満杯満腹の腹をさすりながら儀式のように爪楊枝を
口に咥えると、なぜか学生達が集まってきて、僕らから
少し離れた背後で遠巻きにこちらの様子を伺っている。
男女総勢8人ぐらいだったかな。
「あぁ、お皿を片付けるんだな、えらいな」と
思ったら違った。
テーブルで清算を済ませて4人が椅子から
立ち上がった瞬間、学生達が一斉にこちらに
ダッシュしてきて食べ物が残った皿を
「私のよ!僕のだ!」と
キャッキャッと騒ぎながら皿を取り合いながら
遠くのテーブルへ運んで行き、それから
食事を始めた。
僕らが残した食べ物をすごく美味しそうに
学生達が食べている。急いで食べるもんだから、
手も口もベタベタだ。
どうやら、学生達は’まかない’の時間だったらしい。
そこへ’まかない’には登場しない、僕らが食べ残した
豪華な料理をオカズに加えたい、という訳だったのだ。
学生達が美味しそうに食べている。
その姿を眺めていると、僕らが食べ残した物だ
ということは少しも気にとめている様子はない。
僕と目があっても笑顔で微笑み返し、悪びれた様子も
卑屈になる様子も申し訳ないという顔もしない。
タイ人の大人たちも何も言わない。
白いタイ米と揚げた魚などを口いっぱいに頬張って、
美味しそうに食べている。魚料理はタイ料理の中でも
少し高級なのだ。
僕は「しまった。もっと残しておいてやればよかった」
と心の中で思った。学生達はたぶん家が貧乏で
家計を助けるために働いているのだろう。
食べる姿は日本人の子供と変わらない。
無邪気だなものだ。
しかし、やはり、貧富の差は大きい。
タイに居ると、観光を楽しんでいる瞬間に
こんな風にハッとして貧富の差について
考えこんでしまうことがある。
何かできることはないか。
そう考えても答えはでない。
料理を残せば良いというものではないだろう。
お金をあげれば良いというものでもない。
何かないだろうか。
しかし、いくら考えても良いアイディアが浮かばない。
「おーい、いくぞー」
大きなお腹をさすりながら店の外で
仲間が歩きはじめる。
僕は目を細めながら苛立つ感覚を隠しながら、
加えていた爪楊枝を折ってゴミ箱に捨てる。
何に対する苛立ちなのか自分でもわからない。
世の中に答えが出ないことは腐るほどある。
ただ、答えが出なかったことを忘れない
ということが大事なのかもしれない。
別に日本人がいいとか悪いとか、
誰が不幸で、誰が幸せだとか
そういう話じゃなくて、色んな世界を見ることで
毎日の生き方が変わって自分の生活が
充実するようになるんじゃないかなって思う。
誰かを可哀想と思ったりすることが
間違いなのかもしれない。
他人を可哀想と思ってもどうすることも出来ないなら、
自分の生活を充実させて精一杯生きるということが
答えなのかもしれないと今は思っている。
それが人類におけるチームワークなのかもしれない。
チームワークとは誰かを助けることではなく、
自分の役目をしっかり果たすということ。
でも…、来年は違う答えかもしれない。
答えはみつからない。
タイに行くことで人種が違って、考え方が違って、
心の中が違って、色んな部分が違うということを認識して、
僕は自分の存在意義を確かめている気がする。
臆病者だから存在価値を見出せないと生きていられない。
僕はこういうタイのまじめな話も、
タイのふざけた話も、タイのどんな話も
聞いてくれる仲間がいる。
それで、ずいぶん救われている。
もちろん、今回のように美味しいものを食べて
考える機会をくれた社長にもとても感謝している。
僕はとてもラッキーだ。
ラッキーをタイ語では「チョークディー」と言う。
チョークは「運」、ディーは「良い」を意味する。
チョークディーはマイペンライの次に好きな単語だ。
別れ際に使うと「幸運を」という意味として気軽に使える。
タイ人に「チョークディー」と言うとニコッと笑う。
そんな笑顔を思い出すとタイに行きたくてしょうがない。
今はそんなタイに行きたいからがんばって働いて生きている。
さて、、、今日は何を食べようか。
大好きなトンカツか、それともタイ料理か。
とにかく、残さず食べよう。
そして今日をマイペンライで生きよう。