禁断症状 タイブログ
再び、訪タイである。
京急本線エアポート快特線が順調に強風の中を突き進んでいる。
平日の昼時にも関わらず、車内は大きなカバンを持った人がこれから起こるであろう旅の出来事に想像を膨らませている。
みなさんは家を出発して旅先に着くまでの間、何を思いながら過ごすのだろうか。
それともビールを飲みながら他愛ない会話を楽しんだり、普段足りない睡眠を補うかのように眠りながら過ごすのだろうか。
僕は、本や映画を見て過ごしたいのだが、あまり集中できないので電車の中では風景を眺めていることが多い。
というのは、これからタイで過ごすことを考えると興奮して集中力が散漫になってしまうのだ。
タイのスワンナプーム空港に着いた瞬間に鼻腔から後頭部を抜けてゆくお香のような存在感のある空気。
美味くて安い飯、綺麗で眺めの良い宿、タイ人の作らない笑顔、メロディのように飛び交うタイ語、外国人相手でも物応じしない接し方。
考えただけで早くタイに行きたくてソワソワしてしまう。タイのそんな楽しい日常は、いいしれぬ懐かしさがありそれでいて新鮮で”タイ病”という重症の中毒患者を生み出す。
タイは、自分の人生について考えがちな人間ほどハマりやすいと思う。
人は毎日、大切な何かを人生という道に少しずつ落としてしながら歩いて行く。
その落としてしまった大切な何かは日常の中で家族や友人、恋人など身近な人から少しずつ分けてもらうことで補っている。
ところがタイは道に落としてしまった大切なものを全部まとめて一瞬にして戻してくれる。人生で一番大切なことは人間らしく生きることだと思い出させてくれるのだ。
普段は日本人という自覚はあっても人間という自覚はあまり感じられないが、タイにいる間はどちらも毎日肌で感じることが出来る。
日々の忙しい日常で鈍ってしまった五感がタイに行くと研ぎ澄まされる。
すなわち先っちょが丸まった鉛筆の先っちょをガリガリと鉛筆削りのように粗く削って人生のストーリーを再び書きやすいようにしてくれる。僕にとってはそれがタイだ。
タイは病んだ心を治す魔法であり、どんなバカにつける薬よりも良く効くのだ。
魔法はすぐに解けてしまうのだが、日本に戻ったあとに魔法の余韻が残るのがまた良い。明日への活力になる。それだけタイは強烈でありインパクトがある。
タイ病はタイに行かないと、うわ言のようにタイタイと呟いてしまう禁断症状が出てくる。タイを想像するとじっとしていられず興奮してジッとしていられない。
僕はタバコは吸ったことがないが、吸えない時の禁断症状が分かる気がする。
そんなわけで、そうなってしまうと物事に集中できなくなるので電車の中では風景を眺めながらこれからどんな楽しい出来事が起こるのだろうかとワクワクしている。
その反面、何が起こるか分からない不安もある。
差し詰め「初めてのデートに向かう電車」に乗った時の状態だ。僕はタイに行く時に、あの懐かしいドキドキの感覚でいる。人生のファーストインパクトである。それが蘇る。
とにかく今日からタイだ。
タイに行けるのだ。
マイペンライで過ごす。
誰が何と言おうともだ。