コピー時計の罪と罰(1) タイブログ
タイにはブランド品のコピー腕時計がたくさん売られている。
夕方を過ぎるとどこからともなく夜の歓楽街や大通りに
行商が現れて、古びた台の上にキラキラと光る
腕時計達が並ぶ。
だが、その輝きは上辺だけの魂の宿らない腕時計達だ。
主に中国で作られたブランド品のコピー。
その虚無主義の産物は、開発途上国をむしばむが、
その国に住む人たちにとっては飯のタネになるものであり、
倫理が人々の間で議論されることはない。
売れるものは何でも売る。
明日の命がかかっているとなれば、良心の有無を
問うことは無意味に等しいことなのかもしれない。
日本人の中にもコピー品が貧困を助けているという声もあり、
だからそれらを買うのだという意見もあったりしてコピー品の
賛否についてはタイ好きの中でも意見が分かれることがある。
僕はコピー品を作ることや売ることは悪いことだと思う。
しかし、タイ全土からコピー品が駆除されたら、飼育されていた
巨体な象は十分な餌をとれずに疲弊していってしまうかもしれない。
言うことを聞かない子供を叱りつけるように、コピー品を
一気に駆除してしまうことは治りかけた傷のかさぶたを
一気にはがしてしまうような痛みを国全体で伴うだろう。
国が地道な教育をして倫理を国民に浸透させてゆく以外に
コピー品を排除する方法はないと思うが、タイには中華系の
人々が多くなかなかそうはいかない。なぜなら、
タイ人は中国から南下してきた人種だからだ。
タイで倫理的な教育を進める前に、コピー品の大産出国である
中国でその賛否について議論されるようなことがなければ
根本から解決することはできない。
しかしその中国はやっかいな事に自分の国が地球の中心と
思っている節があり、国全体の思想を一塊の考え方として
捉えてしまうと、世界の注意や忠告などどこ吹く風の
プライドの塊なのである。
タイが微笑みいっぱいでがんばったとしても、そのしがらみから
開放されるには気の遠くなるような年月がかかるだろう。
むしろ反逆的な様子を見せればナポリタン・スパゲッティのように
赤く絡められて食べられてしまうかもしれない。
タイを擁護するわけではないが、外国の人間が叱っても仕方がない。
先進国の人間がコピー品を’買わない’ということが重要だ。
売れなければ、売る人もいなくなる。
第一、コピー品を使うことはその人の品格を下げる。
その例え話を明日しよう。
とりあえず、今日はマイペンライで行こう。
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