伝える、ということ。
ここしばらく、ぜん息の発作が出たり、親族が入院&手術したりと、病院がらみでバタバタしていた。普段あまり病院に行くことのない病院嫌いの私にとっては、久しぶりの長期通院となった。
そこで医師の方や看護師の方々と、渋々ながら色々とお話をしなければいけなくなったのだけれど、嫌だなぁと思う反面、専門的な言葉をなるべく使わないように、どうしても必要があって専門用語を使う場合でも必ず「どういう意味か」という解説を細かく付け加えながら、相手が理解しているかどうか確かめながら丁寧に話してくれる姿がとても印象的だった。
私も職業柄、一般の方々に対し色々と説明をする必要がある場面が多い。自分なりに、できるだけ相手が分かりやすいようにと心がけているつもりではいたのだけれど、まだまだ相手への思慮が足りなかったんだな、ということを痛感させられた。
相手に何かを「伝える」ということは、相手に理解をしてもらうための行為であって、その行為の主人公は当たり前だけど「相手」だぞ、と。ところがどっこい、この業界を含めて専門的な職種、また講師・教師といった職種ではなんだか専門用語を使うことがかっこいい、とか専門用語を使うことがステイタスの高さ、みたいなところがあるように思う。
芸能界なんかもそう感じるが、内輪でしか通じないような言い回しをあえて使うことが、ある種の優越感のように感じているのかもしれない。
内輪での日常会話ならそれも別に目くじらたてて糾弾するような話でもない。けれど、業界の人間がたとえばセミナーとか、業界の外の人間がいる状況下でも専門用語をバシバシ使ってしゃべっているのを見ると、それってどうなの?と思ってしまう。
相手に何かを正しく伝えることは、相手のためだけではなく、結局は自分のためでもあると思う。逆に言えば、きちんと伝えられなかったせいで相手がミスやトラブルを起こしても、それは結局自分自身の責任と言っていい。
病気だけでなく、改めてこうした自分の姿勢、メンタルな部分を見直すきっかけも与えてくれた医師や看護師の方々には、とても感謝している。
まぁ、だからといって病院は好きになれないんだけど。