DRM進化論第二章、出版は音楽から何を学ぶのか
SocialDRMをきっかけに改めて音楽業界の歩んできた道を21日の投稿で触れた。出版ビジネスとして音楽業界のたどってきた軌跡から何を学んだらいいのだろうか。音楽のデジタル配信は結果として大手のAppleとAmazonに引きづられる形でSocialDRM(何らかの透かし)を施すことで当面の決着が出た形となっている。ユーザーにとっては納得のいく解決となったが、業界としてはどうなのだろうか?もっと固いDRMをかけて流通をコントロールしたいという願いは今でもあるだろうが、それはもはや見果てぬ夢だ。Steve Jobsが指摘した通りCDからのリッピングを防げない限りダウンロードミュージックだけにDRMをかけても意味がない。だがいつまでもCDによる販売が続くわけではない。CDで音楽が販売されなくなり、ダウンロード販売だけになった時に、改めてDRMが問い直されるような気がする。ただ、それにはまだ数年かかるだろう。
一方出版の世界では話はもう少し入り組んでいる。出版の場合はリッピングは自炊ということになるが、リッピングされたコンテンツは商用に用意された紙媒体や電子媒体のコンテンツに対して明らかに品質が劣っている。音楽との比較で言うならば、昔のテープによる複製またはエアーチェックと呼ばれた放送からの複製が出版における自炊に相当する。この時点では音楽業界は事態を静観していた。問題となってきたのはデジタルでオリジナルと変わらぬ品質で複製ができるようになってからだ。
出版の場合は紙媒体からそれと変わらぬ品質の複製を作ることは難しい。しかし電子的に配信されたファイルは完全な形で複製することができる。ここ数年で電子的な出版が始まった時点で出版業界は、音楽業界においてCDが出てかつPCで簡単に複製ができるようになった状態に到達した。違いは音楽業界と違って出版の世界ではそれまでは複製は品質の問題と規模の問題で大きな脅威にはなっていなかったことだ。当然出版社や書店は何らかのDRMをかけて流通を守ろうとしているわけだ。AppleもAmazonも同じだ。
しかしここで、一部の出版社や作家にとっては別の考え方も出てきた。
(つづく)