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デジタルコンテンツ流通の潮流を見据えて

波の中心は意外におだやかかも知れない・・

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 (前回からのつづき)Mail、Twitter、Facebook、Blogなどによる個人レベルでの情報発信または情報交換が出版というものの姿を大きく変えていく。電子化されるということは従来のパッケージの概念からの独立を意味する。音楽の世界ではLP、MD、CDなどのパッケージに押し込められていたものが電子化されることによって、解体され独立したコンテンツとしてネット上に漂い始めた。今でもアルバムとしてのパケージに意味のあるものもあるが、Anthologyとしての価値でしかない。

 いずれ書籍や雑誌や新聞も音楽のようにパッケージが解体され断片的な情報としてネット上を漂うようになる。これは好き嫌いや良し悪しの問題ではなく、ネット化された人間が知らない内に選ばされた路なのだろう。新聞雑誌は言うに及ばず、教科書、参考書、ビジネス書、旅行ガイドブックなどの実用書はすでにこの路を歩み始めている。電子出版などと騒がれる前からこれらの情報は断片的にネット上に氾濫しプロアマを問わず多くの情報発信がされている。そしてこれらの情報はSNSを通して拡散されている。

 これらの変化の良し悪しは分からない。またこれらの変化を好む人も嫌う人もいる。とかくにこの世は好き嫌いや良し悪しとは関係なしに進んでいくものだ。それが進化だと思う。日本ではまだ狭義の意味での電子出版すら行われていない。狭義の意味での電子出版とは従来の出版を模倣した形のサービスだ。一方、TwitterやFacebookは日本でも認知されこれまで出版界が自分のものと信じてきた情報がすでにクラウド化しつつある。

 出版が全ての人に解放された結果、ネットにはプロアマを問わず玉石混交の情報の断片が漂う。これがクラウドでそれをフィルタするのがSNSだ。政府、マスコミ、学者といった従来の権威が疑われるようになり、代わって自分の知った人、信じる人またはSNS上で多くの人が信じるものがその人にとっての権威になる。出版社がこれまで物理的な制限を特権的に利用することで保持してきた出版が野に放たれることになる。

 これらの変化は良し悪しや好き嫌いを超えた進化で、ぼくたちはその中にいるのだと思う。これまでネットとは関係のなかった年齢や職種の人も興味を持ってコネクションを持とうとしている。それらの人の多くは自分から積極的に情報発信をすることは無くても「いいね!」ボタンを押したりRTしたりすることができる。プロアマ多くの人が発信し、無数の人がそれを拡散する。これが今起きつつある大きな変化だ。ぼくたちはゆで上がる前にナベから出なければならない。

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