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デジタルコンテンツ流通の潮流を見据えて

これが未来の雑誌?確かに楽しい、でもこれは雑誌なのか?

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Time Warnerが未来の雑誌のコンセプトとしてこんなものを作ったとTechCrunchで紹介されていたものだ。このビデオのような端末はおそらく来年にアップルから発売されることは間違いないので、後はこういったコンテンツが本当に出て来るのかということだ。確かにこのデモはよく出来ていし見ていて楽しいし、触っていても楽しいだろう。ところで果たしてぼくらはこれを雑誌と呼ぶのだろうか?

雑誌という媒体の形式が出来て何年になるのだろうか、起源をたどればかなり古くなりそうだ。今日の形式の雑誌となってからも100年は経つかもしれない。そしてその雑誌が大きな試練を迎えている。特に歴史のある良質な雑誌がどんどん無くなっていくのを見るのは本当に辛い。そして僕らはその文化をなんとか継続させたいと思っている。その時このデモのようなコンテンツはちょっと違うように思う。もちろんこのデモのようなコンテンツを否定するつもりはない。どんどんこういった新しいコンテンツが出てくればいいと思う。気になるのはこういった形式だけが全てでは無いということだ。ぼくらが守りたいのは雑誌という形式のもとに築き上げられて来た編集という文化だからだ。新しいものは放っておけばいい、勝手にどんどん新しいものは生まれて来るだろう。だが古いものは誰かがちょっとした気を使ってあげないと簡単に葬り去られてしまう。そんなものは無くなってしまえばいいと言う声も聞こえて来るが、そうでは無いだろう。沖縄の珊瑚礁、日本各地に昔はあった清流のようなものだ。作るのには多くの年数を必要とするが壊すのは一瞬だ。

新しい技術の誕生にともなってメディアは進化していくものだが、最近の雑誌文化の低迷を見ていると進化することができずに滅びて行ってしまうように思えてならない。雑誌の今日の低迷はインターネットなどの新技術をうまく取り込めていないことにある。またマス広告の低迷や流通の問題など様々な要因があるが、雑誌の取材と編集という文化はかなり普遍的なものでそれは技術が変わっても生き続けるものだと思う。かりにこのデモのようなものが雑誌の未来だとすると、現在の出版社にいるほとんどの編集者とデザイナーは職を失うだろう。彼らが得意なIndesignやQuarkではこういった新しいコンテンツは出来ないからだ。もちろんこういった新しい技術を勉強するデザイナーもいるだろうが、時代の流れはそういった悠長なことを待ってはくれない。結果として一部の例外を除いて、新しい人に取って替わられることになる。技術の進化のためにそれまで築かれて来た編集(デザインを含む)という文化が途切れてしまう。

もう一度言う。新しいメディアの形式を否定するものではない。そうではなくて、雑誌の編集という文化を引き継ぐメディアを否定しないで欲しい。よく紙のデザインをそのまま電子にしても意味がないという意見を聞くがそんなことは無い。現在のKindleなどの例は決して過渡期ではなく、一つの紙媒体の編集文化を継承する方法だ。もちろんベストでは無いが雑誌文化の継承のためには必要な過程のように思う。インターネットやIT技術の効用にはいくつもの面がある。新しいメディアが生まれるきっかけになると同時に、伝統ある文化の継承をするということだ。例えばSports Illustratedならばこういったコンテンツを作ることができるかも知れない。だが日本の多くの雑誌は中小または零細な出版社によって作られて来た。そういった企業にこのようなコンテンツを作ることは思いもよらないことだ。まただれもそんなものを期待していない。大手の出版社にしても同じで各雑誌は非常に限られた予算でしかも採算が取れないでいる。こういったコンテンツを作ることは非常にハードルの高いことになる。特に日本の雑誌は言葉の壁によって守られて来たと同時に狭い市場に制限されている。英語の雑誌のような広い市場を対象にすることができない。これまでの雑誌の伝統を引き継いだ形の電子コンテンツを考えたい。

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