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知の巨人と知の怪物の競演、やっぱり怪物がすごい

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Picture_2ぼくらの頭脳の鍛え方 (文春新書) が面白い。

博覧強記のふたりが400冊もの膨大な愛読書を持ち寄り、“総合知”をテーマに古典、歴史、政治、宗教、科学について縦横無尽に語った。今、何を読むべきか?どう考えるべきか?「知の巨人」立花隆と「知の怪物」佐藤優が空前絶後のブックリストを作り上げた。自分の書棚から百冊ずつ、本屋さんの文庫・新書の棚から百冊ずつ。古典の読み方、仕事術から、インテリジェンスの技法、戦争論まで、21世紀の知性の磨き方を徹底指南する。
立花はどちらかというと苦手だが佐藤はどちらかというと好感を持っている。という先入観を捨てて読んだつもりだが、やっぱり佐藤に軍配が上がる。立花の博覧凶器(?)には頭が下がるが、彼の、特に科学に関する聞きかじり読みかじり知識はどうも胡散臭さがただよう。出身が仏文や哲学だからという訳ではないが、彼に宇宙論や素粒子または脳の話をされると、「あんた本当に分かってるの?」と突っ込みたくなってしまう。一方佐藤は政局絡みで投獄されたおかげでその怪物ぶりが一際輝いて、出獄した後の執筆活動は目を見張るものがある。最初に読んだ「獄中記」の面白さは他に類をみない。投獄の理由となった鈴木宗男との北方領土をめぐる謀略の裏話の後には神学の歴史や様々な学派についての考察が続いたりする。拘置所の生活やその中での勉強方法なども興味深い。差し入れしてもらった百頁のB5ノート何冊もに綴られた記録は怪物の名に恥じない。立花と佐藤はちょうど20才違う。二人とも読書の量と質では圧倒的なものがあるが、佐藤はそれを肉体に溜込んで脂肪や筋肉にして成長してきたようだ。体つきと眼光の鋭さも他を威圧するものがある。

この本の内容はそれこそ博覧の二人が科学、哲学、政治、宗教について言いたいことを言い合っているものだ。いろいろな点で二人は相容れないものを持っているのは明らかなのだが、二人とも大人なのか遠慮しあいながら決定的な相手の批判は避けている。そんな中で後半にカントの「純粋理性批判」についての見解がぶつかっているところがある。立花は現代においてはナンセンスだと言うのだが、佐藤は現代なりの価値を認めている。「純粋理性批判」の中にある「時間と空間は、人間のアプリオリな判断形式である」というくだりを立花はアインシュタインを引き合いに出してカントは時間と空間を理解していないと否定する。佐藤はこの頓珍漢な論理を上手にかわしているが立花はおかまい無しにその無茶な論理を続ける。それこそお得意の認知心理学や自分で体験した実験を例示してカントを批判する。ドイツ観念論哲学としてのカントの理論を聞きかじりの科学で批判することの滑稽さが分からないのだろうか?立花は最後は話が続かなくなってしょうがないので「永遠平和のために」を持ち出して平和が必要だと訳のわからない結論で閉めてしまった。

この本で紹介されている400冊に及ぶ本は「必読の教養書」と説明されているが、どれも私のような凡人が読破するのは困難な内容のものばかりでだれにも勧められる読書案内ではない。「知っている」という意味では私の「知っている」または本棚に眠っている本も何冊かあるが、ちゃんと読んで理解しているのかと聞かれれば沈黙するしかない。ということでこのお二方には脱帽するしかない。そしてその中でも佐藤勝の持つ暴力的とも言える迫力には何と言おうか、とりあえずは降参。

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