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すいか泥棒の話

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Ruby

 
教科書だったか、絵本で読んだのか覚えていませんが、小学生の時に読んだ話で、忘れられない話があります。すいか泥棒の話。
 
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満月の夜、貧しい家のお母さんが、小さな子供を背中におんぶしてスイカを盗みに他人の畑にいきます。
暗闇の中、お母さんは誰かに見られていないかあたりをキョロキョロ見回します。
 
お母さん「誰か見ている人はいないか見張っててね」
 
子供「お母さん、誰もいないよ」
 
お母さん「そうか、じゃあ、今のうちに畑に入ろう」
 
お母さんがどのすいかを盗もうか選んでいるときに、子供はふと空を見上げます。
 
子供「あ! お母さん、お月様がみているよ」
 
お母さんはハッとして、「ごめんね、お母さんが悪かった。ごめんね。」とスイカは盗らず、泣きながら畑を離れました。
 
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たしか、こんな話でした。
私も、絵本の中のお母さんと一緒にハッと胸を打たれたのを覚えています。
そうか、お月さまが見てるのか!と。
 
これは悪いことをする話ですが、大人になってから考えると、いい事も悪いことも同じだなと思います。
 
人は、人が自分を見ているかどうかをとても気にします。
 
いい事をした時には、果たして人は見ていてくれただろうか?
悪い事をした時にも、果たして人に見られてしまっただろうか?
 
よく世間では「必ず誰かが見てくれる人がいるから」と人知れず頑張る人を励ましたりしますが、私は他の人が見てようが、見てまいが関係ないと思う。
 
他の人が見てなかろうが、自分だけは知っているからです。
 
いいことをしていれば、それが自信になって、いつかそういう雰囲気・迫力がついてくる。
悪いことをしていれば、自分が一番知っているので、それがやましさ、滞った雰囲気になって、身にまとって離れない。
 
なので、誰が見てようが見てまいが、あんまり重要なことじゃないと思うのです。
 
他の人が小さな良いことをして褒められて、自分の方がもっと大きな良いことをしたのに誰も見てない時に「不公平だ!」と怒りを感じる必要なんてないのです。
 
ちゃんと、自分だけは知っている。それだけは間違いないし、それこそが重要なのです。
 
もし、たまたま誰か見ていてくれたら、それは幸運だったねって話にすぎないと思うのです。
 
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