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「偶然性」の考察

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ある物事が偶然だったのか、必然だったか、どっちだったのか私はすごく気になります。
私の乙女な心が偶然や奇跡を願う一方、私の冷やかな心では世の中ほとんど必然でしょと思ったりもします。ものごとを「偶然」の一言で片づけるのがスッキリしないので、「偶然」を考えてみました。
 
まず、アリストテレスは偶然を3つに分類したそうです。
①遭遇すること
②稀有であること
③一つの可能性
 
次に、南方熊楠は「縁」という言葉を使っていますが、「偶然」のメカニズムを解明した人とも言われています。いわく、
「この世界には、単純な因果関係だけでなく、因果関係同士が作用し合うことで、さらに複雑な現象が生ずる」とし、「因果と因果の錯雑して生ずるもの」を「縁」と呼んだそうです。
絵を書いてみました。こんな感じ?
 
Photo_2
 
ちなみに、熊楠はこうも言っています。「故に、今日の科学、因果は分かるが(もしくは分かるべき見込みあるが)、縁が分からぬ。この縁を研究するがわれわれの任なり」
 
最後に、哲学の先生である九鬼周造は、偶然性の本質を「予測できない二元の因果律の遭遇である」と言っています。九鬼周造は、アリストテレスと南方熊楠を合わせたような定義ですね。
 
ちなみに、南方熊楠は1867年生まれ、九鬼周造は1888年生まれなので、同時期に生きていました。(2人とも、1941年に亡くなっています。偶然・・・!?)
 
で、南方熊楠の説に戻って考えると、因果(原因と結果)がないところに縁は生まれないということになります。
じゃあ、私たちに何ができるかというと、結果もコントロールできないし、その途中の縁もコントロールできないので、結果に結び付く原因(アクション?)を作りだしていくことだけになります。
 
偶然の話になると、どうしても思い出すのが鶴田さんのpray for japanが生まれた背景。
鶴田さんは地震発生後たった15時間でサイトを立ち上げているのですが、その話を聞いた時に、偶然そんな事を思いついて、そんなスピードで出来るものなのか?と驚きました。その後、鶴田さんの講演会に話を聞きに行ったのですが、311の地震の1年前に、インドの洪水被害を助けるためにボランティアに行って無力さを感じ、その1年後に日本の3・11でも被災したそうです(こちらに詳しく書いています)。その被災先でpray for japanを立ち上げるのですが、熊楠の方程式を当てはめると・・・
 
ジョブスに憧れインドの旅行を予約←(因)
インドで洪水←(縁=偶然)
キャンセルせずにインドにかけつけた←(果)かつ次の(因)
311の地震で被災←(縁=偶然)
pray for japan←(果)
*何が因果で、何が縁なのか、判断が難しいですが、無理やり当てはめてみました。
 
この一連の因果の中で重要なのは、真ん中の「キャンセルせずにかけつけた」という点。インドの時にかけつけて人助けをした経験がなかったら、あの時に多くの人の心の支えになったpray for japanは生まれなかったのではないかと思うのです。
 
縁と結果はコントロールできないので、結局私たちができるのは、何かしらの結果に結び付けるための努力(原因)の積み重ねだけ。偶然を偶然で終わらせない人が結果を出すのだと思うのであります。
 
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