真のローカルを目指すことでインターナショナルを目指す崎陽軒
田舎から出てきて横浜に住んで、既に20年以上になるが、帰省する際、必ず買っていくのが崎陽軒のシウマイである。全国的には、シウマイよりも餃子の方が消費量が多いが、横浜のみ餃子よりシウマイの方が売れている。以前、野並直文社長のお話をお聞きしたことがあり、その際、横浜の名産品になっていった経緯をお教えいただいた。
横浜駅(当時桜木町)では、駅弁の売上が上がらない。下りでは、東京駅で・・上りは、あと少しで着くので駅弁は売れない。当時、名産品が無かったこともあり、名産品をつくろう!と崎陽軒の初代創業者が考えたそうだ。中華街(当時、南京町)のお店で、付け出しで出されるシウマイを折詰にして売ろう!と考えた。しかし、さめると豚肉はまずい。そこで、工夫し、ホタテ貝柱を混ぜて冷めても美味しいシウマイを開発した。電車の中で食べられるように、一口サイズに小粒にしたのがシウマイ弁当の始まりである。しかし、最初は、社長の道楽と言われ売れなかったそうだ。本格的に売れるようになったのは、昭和25年シュウマイ娘が登場してからである。当時は、電車の停車時間に、弁当を売る時代。たばこのキャンペーンガールでヒントを得て、シュウマイ娘を思いついたそうだ。
その後、小説 獅子文六作「やっさもっさ」の松竹で映画化されたことにより、一気に売上が上がり、さらに、醤油入れにひょうたん絵柄をいれたり、真空パックシウマイ、特製シウマイ発売と、新製品と開発と改良を繰り返していった。
野並社長が、整理された崎陽軒102年の歴史から得られる教訓は、以下の通りである。
1.差別化戦略⇒顧客に他社製品・サービスとの違いを認知してもらい、競争上の優位性を築く。(①冷めてもうまい。②小粒)
2.ローカル色をテコにする⇒地域特性を色濃くすることで、更なる差別化を図る。
3.ニッチ戦略⇒強みを生かした特定市場への集中化により無意味な競争を回避する。
4.ハンディキャップ・ピンチをバネに
⇒危機を好機と捉え、組織の連携強化と逆境に強い企業体質を築く。
5.フリーパブリリティーの活用
⇒自社に関する有利な情報を報道機関に流すことで、社会全般との良好な関係を築く。
6.明確な事業範囲
自社が戦う土俵はどこかを意識して守る。(やみくもに事業展開しない)
さらに、社長に就任されたとき、作成した経営理念は、以下の通りだ。
・我が社は、新しい名物名所を創造することにより安全で夢と楽しさのある食生活を提供し、食文化の向上と地域社会の発展に貢献します。
・私達は、創業以来の伝統を尊重するとともに、新たに可能性に対し勇敢に挑戦する姿勢を粘り強く持ち続けます。
・私達は、人間性への信頼とコミュニケーションの活性化により、明るい働きがいのある職場をつくります。
崎陽軒は、ナショナルブランドを目指しません。真に優れた「ローカルブランド」をめざします。崎陽軒が作るものは、シウマイや料理だけではありません。常に挑戦し「名物名所」を創りつづけます。崎陽軒は、皆さまのお腹だけを満たしません。食をとおして「心」も満たすことをめざします。
野並社長のお父さんに当たる2代目は、ナショナルブランドを目指すべきか、ローカルブランドを目指すべきか迷よわれていたそうだ。そして、当時の大分県の平松知事の話を聞きに行かれ、真にローカルなものが、インターナショナルのものになりうると、アルゼンチンタンゴを例え話を聞き、まさに目から鱗であったという。
野並社長は、伝統とは、先人が目指したものと同じものを追い求めながらも、挑戦し続けることが大切である。一方、変えるべきものと、変えてはならないものを判断するのは難しく、完成された商品であるシウマイ弁当などは変えてはいけない。変えないことは結構難しく、ツイツイ変えてくなってしまうが、我慢しなければならないと言われる。
しっかりとした理念の上に、変えてはならないものと、変えなければならないものを見極めた上で、絶え間ない努力をすることがブランディングに繋がることを証明する崎陽軒の102年の歴史である。