「情報ワクチン」という発想
単なる言葉遊び、と言われてしまうかもしれませんが、面白い表現だなぁと感じたので少しだけ。昨日の読売新聞で、新型インフルエンザの問題に関連して「正しい情報がワクチンとなる」という話が載っていました:
■ 新型インフル パニックを防ぐ 正しい情報「知的ワクチン」 (読売新聞 2009年5月2日第15面)
例によってウェブはされていないので要約しておくと、記事を書かれたのは東京女子大学の広瀬弘忠教授(災害・リスク心理学がご専門とのこと)。新型インフルエンザを地震や洪水等とは異なる「非体感型リスク」と分類し、「はっきりと姿が見えないだけに、多くの人がパニックに陥りやすい」と警告、それを防ぐためには正しい情報を「知的ワクチン」として広めなければならないと述べています。
正しい情報が必要なのは当然の話で、麻生首相だって「きちんとした情報開示を行う」と宣言しているじゃないかと言われてしまうかもしれません。しかし豚肉やメキシコ料理に対する無意味な過剰反応が出ていることを思うと、正しい知識が広まっているなどとはとても言えないでしょう:
■ 途絶えた客足、在日メキシコ人店主「関係ないのに…」 (asahi.com)
また前掲記事の中で、広瀬教授がこんな指摘をされています:
患者やその家族に対する拒否感も心配される。後天性免疫不全症候群(エイズ)や新型肺炎(重症急性呼吸器症候群=SARS)が発生した当初も、同様の傾向がみられたという。
パニックを防ぐにはどうしたら良いか。「まず情報を提供する側に気をつけてほしい。行政機関は安心を強調する傾向にあるが、逆に情報を受け取る側は『本当だろうか』と疑心暗鬼にある。危険性も含め、客観的な情報を大量に提供していくべきだ」と指摘する。
残念ながら行政機関の不手際が相次ぐ日本では、「政府が安心だと言っても信用できない」という心理状態になってしまう危険性が特に高いでしょう。単に情報を発表するという態度ではなく、まさに効果的なワクチンを開発するかのように、戦略的に情報を加工(情報そのものが「粘着性(stickiness)」を持つように、心に残りやすいフレーズ・インパクトのある事例を含める等)・流通(米国政府が行っているように、Twitter など最近人々が集っている場所に出向いて情報を配布する等)させるという姿勢が必要だと思います。特に今回、「豚インフルエンザ」という言葉の響き自体が人々の話題になりやすかったり、不安を煽ったりする一因になっているのではないでしょうか。これに対抗するには、同じぐらいの感染力を持つメッセージが求められるでしょう。
今回の新型インフルエンザに限らず、例えばコンピューターウィルスの世界などでも、原因となるウィルスそのものを退治するワクチンが開発されるまでには時間がかかります。それまでのつなぎとして、また風評被害といった二次災害・問題を防ぐための対策として、「情報ワクチン」の活用が求められる場面は多いのではないでしょうか。また私たち自身も情報ワクチンの開発を主導・補助したり、それを積極的に「接種」したりすることが求められているのでしょうね。
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