「からっぽの洞窟」の使い方
12月に入り、最初の一週間もあっという間に過ぎてしまいました。そろそろ「2009年はこうなる」的な記事も現れ始めている、あるいは準備が進められている時期だと思いますが、来年はどんなIT系ニュースが僕らを驚かせてくれるのでしょうか。
過去を見ることが、時として未来を見る役に立つ。ということで、本棚でホコリを被っていた『インターネットはからっぽの洞窟』(日本版は1997年、原著は1995年出版)を引っ張り出して久々に読んでみたのですが、これが予想以上に面白いです。かつて注目を浴びたのでご存知の方も多いと思いますが、世間一般でインターネットが騒がれ始めた頃に「インターネットってそんなに凄いか?」と訴えて話題を集めた本。出版されてから10年以上経過している、しかもインターネットというテクノロジーを話題にした本であるにもかかわらず、いまだに出版され続けています。
前述の通り、原著が出版されたのは1995年ですから、本書は94年~95年当時の状況を元に考察が行われています(ちなみに僕が大学の研究室でネットを使い始めたのが95年なので、「そうそう、昔ってこんな環境だったよなー」と懐かしく感じてしまいました)。従って2008年の現在から見ると外れた予想も多く、「政治に使われることなどない」「ネットに投稿される情報はクズばかりで、価値のある情報など探せない」「異なるコンピュータ間で簡単にデータをやりとりできる日など来ない」などといった指摘まで行われていたり。Eコマースにも否定的なコメントが書かれているのですが、今では本書をアマゾン経由で簡単に入手できるという、皮肉めいた状況になっています。
だからと言って、本書は決して「過去の戯言」ではありません。薄っぺらな考察だとしたら、そもそも10年以上売れ続けてはいないでしょう。当たっている指摘も多く、例えば「すべてのやりとりが電子的に記録されるようになると、べつに不正なやりとりなどではなくても、あまり知られたくないと思うようなことまでコンピュータの知るところとなる」といったプライバシー侵害や、「しがらみの存在しない虚構の世界には、ふつうなら口にできないような話題やタブーが大手をふってまかり通っている」といった反社会的言動への懸念などが指摘されています。「なんだ、いま問題になっていることはこんな昔から予測されていたのか」と驚かされることでしょう。
総合して言うと、「インターネットは使い物にならない、という予想の4割は的中し、4割は外れている」というのが個人的な感想です。では残りの2割は?というと、「人間の側がネットの使い方を工夫することで、その価値を高めるようになってきている」と言えるのではないでしょうか。例えば「有益な情報を取り出すには、すべての情報に目を通して整理する『編集者』の存在が欠かせない」という指摘が登場するのですが、「皆にコンテンツを評価してもらい、その評価を集約することで面白いコンテンツが上がってくるようにする」「他のコンテンツへのリンクをそのコンテンツへの1票とみなし、被リンクの多いコンテンツが上がってくるようにする(≒Google)」といったいわば「回避策」が生まれています。他にも電子メールとの付き合い方や動画コンテンツの楽しみ方、「ニコニコ動画」のようなリアルタイム感を共有する仕組みなど、工夫の例は枚挙にいとまがありません――言うなれば、インターネットが「からっぽの洞窟」であるという状況はそれほど変化していないけれど、人々がそんな「からっぽの洞窟」の使い方に慣れてきている、と表現できるでしょうか。
それは様々な人々が指摘しているように、「ネットと人間が融合し始めている」「人間の側がネットに合わせるようになってきている」といった状況なのかもしれません。人によっては、それを非人間的で嫌悪すべき状況と見なすかもしれませんが、いずれにしても10年の時を経て、人間はネットと折り合いをつけるようになってきたのだと思います。ビットの世界にあるインターネットの変化は非常に素早いのに対して、アトムの世界にいる私達の変化はごく遅く、気をつけて見ていなければ気づくことはできません。しかしゆっくりだとしても、着実に人間は変化している――それをはっきりと実感できるというのも、過去の優れた考察に改めて目を通してみる価値ではないでしょうか。