ブログの限界
ブログの登場により、誰でも簡単にネットで情報発信できるようになった -- と、よく言われます。僕が個人ブログを書き始めたのは昨年の8月、オルタナティブ・ブログに参加させていただいたのは今年3月ですが、確かに以前では考えられないほど「ネットを通じた情報発信」というものが身近になりました。ブログを通じて知り合うことができた方々もたくさんいますし、その意味でブログの力というものを実感しています。
しかしその一方で、ブログを知れば知るほど、その限界も目に付きます。最も気になるのは、ブログを使うのに苦労する人がけっこう多いという点。それは単に、PCやエディタの使い方に慣れていないからだと考えてしまってよいのでしょうか?実は非常に使いづらく、使い手を選ぶツールであり、いまブログで情報発信しているのはごく限られたグループなのだと認識した方がよいのではないでしょうか。
ちょっと思い返してみて下さい。小学生のとき、作文の時間がありましたよね。400字詰め原稿用紙を渡されて、夏休みの思い出やら、読書感想を書かされる。この時間が待ち遠しくてたまらない、楽しい授業だったという方はどれくらいいるでしょうか?正直言って、僕は作文の宿題が一番キライでした。「原稿用紙2枚以上書くこと」と言われたら、「あと100字・・・あと50字・・・」と無理やり言葉を多くしてマス目を稼いだものです。
それからおよそ30年。僕はブログという作文に向き合っているわけですが、ブログというシステムが文章を書くことを楽にしてくれたわけではありません。文章を考え、構成する苦痛は変わらないですし、もしもっと楽に情報発信できる手段があるのなら、そちらに乗り換えるでしょう(ポッドキャストは恥ずかしいのでできませんが)。実は「文章」というカタチで情報発信を強いるブログは、非常に間口の狭いシステムなのではないでしょうか。
もちろん、現在のウェブがテキストベースのメディアである以上、ブログが文章を中心とするツールであることを責めるわけではありません。しかし、「誰でも使える」というのは幻想であり、そこで発信される情報には偏りが避けられないと認識するべきでしょう。もしネットを通じて世論といったものを捉えたいのであれば、ブログに限らずBBS、SBMに付随したコメント、ポッドキャスト、ボッドキャスト(ビデオ・ポッドキャスト)といった様々な形で存在するコンテンツを拾わなければなりません。またそういった手段が発展し、もっと多くの人々に使ってもらうようになる必要があると思います。
文章を書くのが苦手・PCはよく分からない・エディタなんて使ったことがない、けど優れた専門知識や人間的な魅力を持っている -- そんな人、皆さんの周りにも結構いるのではないでしょうか。「そんな人はネットに来なくていいよ」というのでなければ、彼らが使いやすい、新しい情報発信のカタチがあって良いと思います。過度のブログ、もしくはそれに類似するテキスト型CGMへの礼賛は、彼らが参加する機会を損なうことにつながらないかと心配しています。
… ちなみにこのエントリの文字数は1,273(空白抜き)。原稿用紙3枚分でした。