「エンゼルメイク」という発想
雑誌『クロワッサン』の最新号に、「エンゼルメイク」というサービスが解説されていました(2006年4月25日号、5ページ)。エンゼルメイクとは簡単に言えば、「死化粧」のこと。亡くなった人に施す最後のお化粧のことですが、従来の死化粧と異なるのは、「死後の処置ではなく、人生最後のケアとしてエンゼルメイクを位置付けている」ことだそうです。
例えば記事には、こんな一文があります:
『ご臨終です』という言葉で医療行為は終わってしまう。けれど、その方は遺族や看護師さんの中ではまだ生きています。
(中略)
遺族の、
「父の唇の色はこんな色ではなかった」
「母はもっと華やかな人だった」
こんな声に耳を傾け、看護師が遺族と一緒にエンゼルメイクをほどこしてゆくと、次第に眠っているような穏やかな顔になる故人を前に、遺族も看護師も共に癒されてゆくこともわかってきた。
遺体を生前の状態に近づける技術というと、エンバーミング(遺体衛生保存)を思い浮かべます。しかしエンバーミングが「葬儀・保存のために必要最低限の処置を行う」という発想であるとすると、エンゼルメイクは「故人のため・遺族のために最高の化粧を施す」という発想であり、大きく異なるものだと言えるでしょう。実際、2001年に発足した「エンゼルメイク研究会」では、化粧品メーカーも巻き込んで研究を重ねているそうです。
人生の最後のセレモニーである葬儀を、最高の表情で「出席」させてあげたい。遺族なら誰もがそう願うでしょう。しかし、エンゼルメイクに関する以下の記事によれば、「遺体へ生前のような化粧を施す」という発想はまだ一般的ではないようです:
エンゼルメイクが注目されていない理由を探るのが今回の目的ではないので、考察は避けますが、重要なのは誰もが求めているニーズが軽視されてしまっていることでしょう。「遺族にとって遺体がどんな意味を持つのか、葬儀がどんな意味を持つのかを考える」という簡単なことができれば、遺体に化粧を施すことの重要性はもっと理解されているはずです。エンゼルメイクという運動が示しているのは、いかに商品/サービスはその施し手の側の都合で設計されやすく、「ユーザー」の真の声を拾いにくいかということではないでしょうか。
エンゼルメイクに限らず、「そんなの非合理的だ」「大した意味は無い」といった思い込みで、隠れたニーズを踏みつけてしまっているケースが他にもあるように思います。いまいちど、「自分達が不要だと判断したことは実は重要だったのではないか、ユーザーに隠れた不満を感じさせてしまっている部分はないか」という視点で自社の商品/サービスを見返してみることが必要ではないでしょうか。