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元証券アナリスト、前プロダクトマネージャー、既婚な現経営者が、日頃の思いをつづります。

千總に学ぶ:イノベーションあってこその伝統

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「京友禅千總 450年のブランド・イノベーション」(長沢伸也・石川雅一著)を読了。

1555年といえば、川中島の合戦が行われた年とか。織田信長は21歳、豊臣秀吉は18歳、徳川家康は13歳だった。

元々宮大工だった千總の初代・千切屋与右三衛門は、この年、お坊さんのきものである「法衣」を商う法衣装束業として創業したのだという。戦乱の世、数多い建物が焼けたが、それを立て直すのにまわすお金はあまりない。逆に数多い戦死者を弔う僧侶たちにとっては、忙しい時代だったのではと、著者は推測する。

第4代千切屋惣左衛門は、金襴をふんだんに使った豪華な衣装分野に進出した。天下泰平で、上方中心に商人が勃興してきた頃だ。

しかし、江戸幕府はしばしば奢侈禁止令を出す。金襴を制限された商人階級は、厳しい規制の範囲内で、何とか贅沢な感じを出そうと工夫する。友禅染の出現には、そんな時代背景があったようだ。そして、千總は「友禅の千總」として名をあげる。

明治維新。政府の「欧化」政策は、間違いなく逆風。一方、江戸時代の身分制度とは一変し、誰でも絹の着物を着られるようになった。マーケットの拡大を、千總は見逃さない。第12代西村總左衛門は、今までの手描き友禅とは異なる型友禅を開発し、化学染料も用いて、大量生産を始めた。

第二次世界大戦。「贅沢は敵だ」というスローガンの下、物資統制の厳しい中、日本古来の優れた伝統技術に限り「工芸技術保存資格者」という証明書を得て、製造販売が許された。千總はこの資格を得た。

そして、バブルの崩壊と、それに続く市場の長期低落傾向。現在の第15代西村總左衛門は、お茶の伊右衛門、サーフボードメーカー、フランスのシャンパンメーカーなど、他業界とのコラボレーションを積極的に展開している。

450年もの伝統が存続しているのは、単に伝統を受け継いできたからではなく、時流の変化にすばやく対応し、イノベーションを怠らなかったから。イノベーションがあってこそ伝統が保てるというのは、一見逆説的だが、真理なのだと思う。

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