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元証券アナリスト、前プロダクトマネージャー、既婚な現経営者が、日頃の思いをつづります。

3年ぶりのボンベイ:総括

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やっとシアトルに戻ってきた。

ボンベイからアムステルダムまで10時間。飛行機の整備不良と雪のため、アムステルダムで丸一日足止めをくらい、アムステルダムからシアトルまでさらに10時間。合計丸二日の旅となった。

2週間あまりのボンベイ滞在。スナップショットはすでにいくつか記したが、それらを総括してみる。

今のインドは日本の昭和30年代に似ている。

滞在したのがボンベイだけだったので、インドのほかの地域に当てはまるかどうかは定かではないが、私が小さかった頃を思い起こさせる。

父親はまだ4輪トラックではなく、3輪トラックに乗っていた。家には最初ラジオしかなかったが、ある日四角いテレビがやって来た。母親は洗濯板で洗濯していたが、いつの間にか一層式の洗濯機に置き換わった。それがまた、ドラム式の脱水機のついた二層式に替わっていった。テレビは白黒がカラーに替わった。

生活水準自体はまだまだ低いが、それだけに変化の度合いが実感できる。それが、人々がより一層高いレベルの生活を求めるエネルギー源になっているようだ。

昭和30年代に同じような体験をした日本人が、あの頃の経験を生かし、今のインドの発展に貢献できる場はいろいろあると思う。

高速道路や鉄道の建設、パワーグリッドの整備など、多額の資金を必要とする大型プロジェクトは、国単位あるいは大企業のシンジケートがその力を発揮すべきところだろう。実際、Delhi Mumbai Industrial Corridor というメガプロジェクトが、日本の協力で進んでいる。

でも、インフラ以外でも、日本企業が今のインドのニーズに応え、進出していく余地はたくさんありそうだ。たとえば、衣料。ユニクロがインドに進出する日が待ち遠しい。いや、すでにデリーには出店しているのだろうか?日本の子供服の有名ブランドは、インドのアッパーミドルクラスに受けるのでは?日用品は、プロクターギャンブルやジョンソン&ジョンソンが優位にあるようだが、日本のブランドもまだまだ入り込む余地があるのでは?

ただ、日本人が住むには、いろいろ不便なことが多いのも事実。現在ボンベイには、300人ほどの日本人の方々が駐在しておられるようだが、気候の違い、厳しい交通状態、理想にはほど遠い衛生状況の下、長期滞在されている方々に、深く頭を下げる次第。

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