政治と世襲:ケネディ家の場合
米上院議員エドワード・ケネディ氏の死去に伴い、彼およびケネディ家の功績をたたえる番組がTVに新聞にあふれている。
"Kennedy Worked until the End" ...(ワシントンポスト紙)
"Edward M. Kennedy, Senate Stalwart, Is Dead at 77"...(ニューヨークタイムズ)
"An Era Ends with Death of Kennedy"...(ウォールストリートジャーナル)
母方のおじいさんはボストン市長。お父さんは初代SEC委員長で、第二次世界大戦中は駐英米国大使。長男は第二次大戦で戦死してしまったが次男は米大統領に。三男は司法長官から上院議員に。そして四男の本人は47年間上院議員を務めた。
子供は親の背中を見て育つというように、政治家の家族に育った人が、自らも政治家を目指すこと自体、私はあまり違和感を覚えない。かの塩野七生も「ローマ人の物語」で、食卓で当たり前のように政治を語る家庭に育ったことが、ユリウス・カエサルの人格形成に大きな影響を与えたというようなことを書いていた。
ただ、このお父さんは、自分の息子を大統領や司法長官にすることに、異様な執念を燃やしていたようだ。その辺はPBSのテレビプログラム"The Kennedys"に詳しい。日本の二世議員でさえも、ここまでお父さんにしてもらった人は珍しいのでは。
お兄さんが次々と若くして命を落とすのを目の当たりにして、エドワード氏本人はどんな気持ちを抱いたのだろう。政治家として家族のほかの誰よりも長い年月を生きた本人は、その間に、お父さんの野心も全て含めて「天の命ずるをこれ性という」と、潔く受け止めるに至ったのではないだろうか。
長い間、お疲れ様でした。