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元証券アナリスト、前プロダクトマネージャー、既婚な現経営者が、日頃の思いをつづります。

チャンスを与えてくれた大和證券に感謝

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卒業、入学、就職の季節。私も遠い昔を思い出し、改めて最初の雇い主にお礼を述べたい。

いわゆる“優等生”だった私は、就職活動で初めての挫折を経験した。

大学四年の春、それまで男女差別なんて意識もしなかった私は、単に男性と同じスタートラインに立ちたい、すなわち総合職につきたい、というのを唯一の条件にして就職活動を始めた。ところが、男女雇用機会均等法施行1年前の当時は、男子は総合職、女子は一般職という区別が当たり前。一般職の就職は4年制大卒より短大卒の方が有利、というのも普通だった。

女子総合職採用を始めた企業もなくはなかったが、採用はたいてい本社のみ。関西では埒が明かないからと、遠い親戚のお宅に数ヶ月居候して、東京で就職活動を続行。コネなし、自宅外通勤、おまけに私は高校の時一年留学しているので、一留あるいは一浪扱い。いわゆる女子学生の3重苦を抱えての就職活動だった。

とにかく総合職につきたかったから、業界、職種、規模などは二の次。分厚い求人雑誌、それも、私宛には届かなかったから、同級生の男の子宛に届いたのを分けてもらって、その後ろについている資料請求はがきを出しまくった。

40社に応募。そのうち13は当時の都市銀行。男子同級生には都銀の方からお誘いの電話がかかってくるのに、女子は一般職採用のみということで、私には面接の機会も与えてくれなかった。

26社が面接に応じてくれた。「京大生が受けに来たのはあなたが初めてです。どうしてうちなんかに?」「求人広告に、男女を問わない、とあったので。」というやり取りがしばしば。初回の面接では「元気な女性を求めているのです。」と良い感触だったので、最終の役員面接で張り切ったところ、それが裏目に出てNG、というのも少なからずあった。

最後に大和證券が内定をくれた。翌年から施行される法律に事前に慣れておこうというのが本当の理由だったらしいが、とにかく私にチャンスを与えてくれた。今でも心から感謝している。ありがとうございました。

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