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ある時はコンピュータの製品企画担当者、またある時は?

保育園残留を目指した日

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かつて娘は保育園を退学(!)させられそうになったことがある、と言うと大げさに響くかもしれないが、実情を冷静に表現してもやっぱりそうなるような気がする。アメリカに駐在していた頃の話なのであるが、初めて母親から離されて集団の中に放り込まれたのだから仕方ない。母親が見えないと泣き喚き続けて、担当する先生もお手上げで、仕方なく園長先生にずっと抱かれていたようだ。

周囲にたむろするのは、普段見慣れている人間とは髪や肌の色が違うし、話す言葉も違っている。友達といったところでどうせろくに言葉が理解できない人間の集団なんだから、言語の違いなんぞ関係なかろうと鷹を括ったのも事実である。ちょいと無謀かなと思ったのだけれど、子供は親が思っている以上に強いものだし(本当かな?)、せっかく長期滞在するわけだからなるべく現地の子供たちと触れ合う機会を持たせてやりたかった。そこで保育園を調べて、週に2回ほど通わせることにしたところ、初日が冒頭に書いたような有様になってしまったというわけだ。

園長先生もこれは無理だと思ったのであろう、わざわざ自宅にまで電話をよこして、かくかくしかじかだから、「おたくの娘を保育園に通わせるのは時期尚早と思われる」と妻に語ったらしい。たしかに通園可能年齢の下限ぎりぎりだったのは事実である。しかしながらせっかく通い始めた保育園なのに、すぐにやめさせられてたまるものかという思いがあり、娘の残留を目指して妻と対策を話し合った。そして今度は僕から保育園の園長先生に電話をかけて、娘を特別に面倒見てくれたことの礼を述べ、我々で取れる対策を提案し了承してもらった。そしてその案がうまくいくかどうか様子を見てから、最終判断を下してもらうことになった。首の皮一枚がつながったような気分である。

結局どうしたかと言うと、妻が娘を預けてすぐに帰宅するのではなく、一緒に保育室に入り、部屋の隅でじっとしばらく様子を見させてもらうことにしたのである。娘も母親が一緒にいるという安心感からか、保育室に入るや否やひょこひょこと互いに言葉の通じない友達と遊び始めたというわけだ。遊び始めると親の存在をすっかり忘れてしまったのだろう、しばらくすると母親に注意を払うこともなくなったので、妻は担任の先生に促されてそっと部屋を退出したという次第である。それまでものの10分程度の出来事だったようだ。そして妻が迎えに行くまで娘は終始ご機嫌だったらしい。以降も様子を見ていたが、何と言うこともなく友達との遊びにすぐに熱中していたようだ。

その後娘に顛末を話して聞かせたことがあるのだが、当人は全く記憶がないらしい。けろりとしたものだ。父親と母親とが無い知恵を絞ってそれなりに対策を考えたのに。まあ、脳味噌のしわのどこかにでも刻み込まれていればよしとするか。

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