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【書評】Jeff Jarvisの新刊"Public Parts: How Sharing in the Digital Age Improves the Way We Work and Live"

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ブログBuzzMachineや"Dell Hell"騒動で有名な、という紹介が正しいのかどうかは分かりませんが、ジェフ・ジャービス氏の新刊が発売されました。今回のタイトルは"Public Parts: How Sharing in the Digital Age Improves the Way We Work and Live"で、直訳すれば『公の部分――デジタル時代の「共有」が私たちの仕事と生活を変える」といったところ。

Public Parts: How Sharing in the Digital Age Improves the Way We Work and Live Public Parts: How Sharing in the Digital Age Improves the Way We Work and Live
Jeff Jarvis

Simon & Schuster 2011-09-27
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何だかハワード・スターン氏の"Private Parts"を彷彿とさせるタイトルだなぁ、と思われた方は正解で、冒頭に同氏と対談したエピソードが紹介されています。ハワード・スターンばりに赤裸々に、という訳ではありませんが、プライベート・パーツ(陰部の暗喩)ならぬ「パブリック・パーツ」を持つようにすることで、当然ながらリスクはありつつも、逆に様々なメリットがもたらされることを解説した一冊と言えるでしょうか。

プライベートとパブリック――メディアと言えばマスメディア、もしくは電話や手紙のような1to1メディアしかなかった時代には、両者の間に境界線を引くことはさほど難しくありませんでした。基本的に生活は「プライベート」な空間で行われ、「パブリック」なのはごく一部、あるいは政治家や芸能人など特定の人々に限定されていたわけですね。しかしいまやデジタル時代。ハワード・スターンのように人気DJにならずとも、MixiやTwitter、Facebook上に私生活を告白することで、すぐに大反響を呼ぶことができます(もちろんその内容が大反響を呼ぶに値するようなものであればですが)。その象徴として、本書ではこんな言葉が引用されています:

"Privacy was once free. Publicity was once ridiculously expensive," says entrepreneur Sam Lessin. "Now the opposite is true: You have to pay in a mix of cash, time, social capital, etc. if you want privacy."

起業家のサム・レッシンがこう語っている。「かつてプライバシーは無料で手にすることができ、注目を集めるには非常にコストがかかった。ところが現在では、正反対の状況が生まれている。プライバシーを守りたければ、お金や時間、社会的資本など、様々なものを費やさなければならない。」

ならウェブサービスに何も書き込まなければ良い、では済みません。例えば検索エンジンでの検索履歴のように、ごく些細な行動の「足あと」から隠してきた性癖が暴かれる、などといったリスクが現実のものとなっています。さらに先日、電力の消費履歴を分析するだけで見ていたテレビ番組まで分かるなどという研究結果も発表されており、こうなるとウェブとはまったく関係の無い部分でも「プライベート・パーツ」が失われつつあるのが現在だと言えるでしょう。

ただしプライベート・パーツが失われ、新たな「パブリック・パーツ」が拡大するという状況は悪いことばかりではありません。様々な情報がシェアされることで多くの副産物が生まれ、私たちの生活を豊かにし得ることはご存知の通り。であれば不安や疑心暗鬼から慌てて「パブリック化」の動きを押さえ込んでしまうのではなく、プライバシー保護の大切さは認めつつも、パブリック化のメリットを追求すべきと主張しているのが本書となります。

ちょうど先日、北海道大学で行われた情報ネットワーク法学会のオープンセッションに参加させていただき、「東日本大震災とICT技術」という観点から様々な事例についてディスカッションする機会がありました。その中で多くの方が言及されていたのが、災害時における個人情報保護や著作権の問題。ご存知のように、東日本大震災に関連して様々な情報(被災者の安否情報や、アクセス集中でダウンしてしまったサイト上の公共情報)がグレーな状態でシェアされたわけですが、これなども「デジタル時代にプライベート/パブリックはどうあるべきか」というテーマを突きつける問題と言えるでしょう。もちろん僕の住所や健康情報が自由に流通してしまっては困るわけですが、だからと言って僕の合意を得なければ一切シェアは認めないというポリシーを採っていては、災害時に自分自身がデメリットを被ったり、あるいはより良い防災対策が実現する可能性を減らしてしまうことにつながるわけですね。

プライバシーを放棄する(あるいは知らず知らずのうちに放棄している)こと、あるいはジェフ・ジャービズの言葉で言えば「パブリックネス(公共性)」を拡大することのメリットに注目するのか、それともデメリットに注目するのか。結局どちらも可能性の話になってしまい、メリットとデメリットのどちらを重視したいかによって結論が左右されてしまうようにも感じます(例えばデメリットの方を重視した議論としては、先日ご紹介した本"Nothing to Hide"などが挙げられるでしょう)。実際、本書でも取り上げられている"Net Delusion"の著者ユーゲニー・モロゾフ氏は、本書がユートピア的であるとして批判する記事を掲載しています。私たちとしては両面の議論をバランス良く摂取し、個々の局面で判断して行くしかないのかもしれません。

ただ一つだけ心に残ったのが、所謂デジタル・ネイティブたちが現代の状況にいち早く慣れ、より良い解決策を編み出して行く可能性が示されている点。例えばFacebook上で母親とも友人登録している女の子が、彼氏と別れてしまったことを友人だけにそっと伝えるために、"Always Look on the Bright Side of Life"の歌詞(一見楽しい曲なのですが、くよくよするなよ!というメッセージが綴られたもの)をウォールに書き込んだという話が紹介されていたりります。「何でもシェア」の時代を当たり前として生きてきた子供達が、この状況にも普通に馴染んで行くのかもしれませんね。

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