【書評】Nothing to Hide: The False Tradeoff between Privacy and Security
ジョージワシントン大学ロースクールの教授、ダニエル・ソロブ氏が書かれた本"Nothing to Hide: The False Tradeoff between Privacy and Security"を読了。法学の教授が書いたプライバシーに関する本、ということで身構えていたのですが、素人にも分かりやすい表現と様々な事例の紹介によって、楽しみながら読み進めることができました。
ソーシャルメディアの時代になり、プライバシー侵害に対する警戒心は少しずつ薄れつつあります。僕もその一人ですが、「別にいま東京駅にいるってツイートしてもいっか」と軽い気持ちでごく個人的な情報をネットに投稿する、という方は多いでしょう。また犯罪者を捕まえるため、被災者を救助するためといった社会的な「大儀」を達成するためなら、ある程度プライバシーが失われてもやむを得ないと考える方も多いのではないでしょうか。しかしそのような捉え方でプライバシーを考えることが、果たして正しいことなのかどうか――本書は(副題にもある通り)「プライバシーと安全保障」というテーマが中心となりますが、法的な対応や人々の意識を上回るスピードで技術が進歩する中で、プライバシー保護のためにどのような議論を行うべきなのかを考察しています。
例えば「僕には何も後ろめたいことはないから、政府が個人情報を探っても問題はないよ」という主張があります。本書はそれを、タイトルにもなっている"Nothing-to-Hide"議論と名付け、そのような捉え方は「プライバシー=恥ずかしいもの」という前提を暗黙のうちに置くことになり、危険ではないかと疑問を呈します。それでは「社会を脅かす犯罪者を捕まえるためには多少のプライバシー侵害はやむを得ない」という反論はどうでしょうか?本書はこの主張についても、同じく暗黙のうちに「プライバシーは『個人の権利』であり、社会全体の価値よりも低い存在」という前提を置くことになり、プライバシー保護の意識を弱めてしまうことにつながると批判しています。
またデジタル情報の時代には、断片的なデータであっても「名寄せ」することによって、大きなプライバシー侵害が起こりうる危険性についても指摘されています。このリスクについては、ITmedia読者の方々にはお馴染みのことかもしれませんね。ソーシャルメディア上にちりばめられたデータから個人情報を引き出すという実験が様々な形で行われていますが、本書はこうした現状から「プライバシーは環境破壊のように、徐々に侵害のリスクが高まって行くもの」という捉え方を提唱します。Twitterでは実名を公開していないから、「飲酒運転しちゃった!」とツイートしても大丈夫――のはずが、Mixiや所属団体のホームページなどといった場所に分散している情報が統合され、個人が特定されるなどという事件が日常茶飯事になっている私たちにとっては、馴染みやすい発想ではないでしょうか。
本書は米国の憲法や法律に基づいて議論が展開されており、日本の状況にはすぐには応用できない部分もあります。しかし上記のように、本書では「プライバシーと社会的利益を正しくバランスさせるためにはどのような枠組みで議論すべきか」というポイントが数多く提示されており、日本にいる私たちにとっても、現状を改めて考えてみる上で非常に有効でしょう。そしてFacebookやGoogle+といったソーシャルメディアサービスが新たな情報発信/プライバシー設定機能をリリースしたり、「ビッグデータ」などというキーワードでソーシャルメディア上の情報のデータマイニングが本格化しようとしている現在は、プライバシーについて改めて考え直す絶好の機会だと思います。
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