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パノプティコンとしてのソーシャルメディア

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ディスカヴァー・トゥエンティワンさんから『ウィキリークスからフェイスブック革命まで 逆パノプティコン社会の到来』という本が出版されるそうで、予約注文してみました:

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パノプティコン」という言葉、時折ゲームなどでも登場するのでご存知の方も多いと思いますが、ジェレミー・ベンサムが提案した牢獄のこと。ウィキペディアから解説を引用してみると:

パノプティコンは円形に配置された収容者の個室が多層式看守塔に面するよう設計されており、収容者たちはお互いの姿をみることはできず、ブラインドなどによって看守もみえなかった。一方、看守はその位置からすべての収容者を監視することができた。

(中略)

この施設の設計思想は刑務所のほかに学校や病院や工場などの施設に応用されることが意図されていた。

マザス監獄やレンヌ中央監獄などに代表される19世紀フランスの監獄建築で、獄房に収監された囚人がいつ看守に監視されているか、いないのか分からないままに、すべての方向から監視されているという監獄建築。

ここから転じて、「いつ見られているか分からないという状態をつくり出すことで、対象者が自らの行動を律するように強いるシステム」にもパノプティコンの名が使われるようになっています。

では「逆パノプティコン社会」とは何か。アマゾンに掲載された著者コメントによれば、次のような内容のようです:

ウィキリークスやフェイスブック革命による一連の騒動を見て、わたしはこのパノプティコンを思い出した。ただ、構図は逆だ。

つまり、通常のパノプティコンでは、政府が看守塔にいて、独房に入っている市民が政府によって監視されるのだが、ウィキリークスがつきつけたのは、わたしたち市民が看守塔から政府を監視する、という構図だ。

「逆パノプティコン」とでも言うべきか。

政府や大企業をはじめとする既存の権威は、情報の占有・統制を通じて、その権威を構築・維持してきた。

だが、ウィキリークスやフェイスブックが情報の透明化を究極まで進めることによって、既存の権威は崩壊し、新しい権威体制が再構築されていく。その可能性が示されたのである。

確かにウィキリークスやフェイスブックなどのウェブサービスによって、体制側に不都合な出来事、極端な事例では政権崩壊までが発生してしまうというケースがこのところ目に付きます。日本でも(震災によって遠い過去のように感じられるようになってしまいましたが)”sengoku38”氏による漁船衝突映像のYouTube公開などがありましたね。そうした出来事を目にするに、「ソーシャルメディアが政府の不正に対抗するツールとなる」という意見は正しいように感じられます。

一方でまったくの偶然なのですが、最近僕はこの「パノプティコン」という言葉を、まったく逆の文脈で使っている本を読んでいました。何度かブログやTwitterでも触れた、"The Net Delusion: How Not to Liberate The World"という本です。本書はソーシャルメディアを始めとした最近のウェブサービスによって、逆に独裁政権の側がその基盤を強化する可能性があることを指摘しているのですが、パノプティコンが登場する箇所を引用してみましょう:

Knowing that they might be watched by government agents but not knowing how exactly such surveillance happens, many activists might lean toward self-censorship or even stop engaging in risky online behavior altogether. Thus, even if authoritarian governments cannot actually accomplish what the activists fear, the pervasive climate of uncertainty, anxiety, and fear only further entrenches their power.

Such schemes have much in common with the design of the perfect prison, the panopticon, described by the nineteenth-century British utilitarian philosopher Jeremy Bentham.

政府機関に監視されているかもしれない、しかしいつ監視されているかわからないという状態に置かれたとき、活動家の多くは自分で自分の行動を規制する、あるいはオンライン上ではリスクの高い行動を取らないようにするといった態度に陥るだろう。従って、たとえ活動家の恐れが実現していなかったとしても、不確実性や不安、恐怖が蔓延することで独裁政権の力は増すのである。

こうした状態は、19世紀のイギリス人功利主義哲学者であるジェレミー・ベンサムによって構想された「完璧な牢獄」、パノプティコンと共通する部分が多い。

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例えば政府に批判的な意見を書き込めば、それがリアルタイムで察知されて逮捕されてしまうようなシステムが構築された場合、逆に市民の側が「監視されているかもしれない」という恐怖から言論活動を控えてしまうわけですね。まさに本来の意味でのパノプティコンと呼べるでしょう。

この本の著者であるエフゲニー・モロゾフ氏(スタンフォード大客員研究員)はベラルーシ出身で、同国で起きた反体制運動(この運動にも「ネットが活用された」という評価がなされています)に触れた経験などから、「確かにソーシャルメディアは反体制活動の強力なツールになり得るが、逆に体制側が活動家を取り締まり、抗議運動を弱めるための強力なツールにもなり得る」という立場で意見を発しています。今年1月に起きたチュニジアのジャスミン革命、続く2月のエジプト革命についても、世間的には「ネットが活躍した」との評価が大勢を占める一方で、よく観察すれば彼の懸念を裏づける動きが見られる(例えばこのブログでも紹介したような、チュニジア旧政権によるフィッシング活動など)と主張しています。

そして実際に、チュニジア・エジプトでの革命を反面教師として、SNSを反体制派を攪乱するツールとして利用する国家が中東に登場しています。『ニューズウィーク日本版』 2011年4月13日号に掲載された記事で紹介されている話ですが、ネット上に公開されている部分のみ引用しておきましょう:

SNSをあざ笑う超監視国家シリア (Newsweek)

秘密警察ににらまれてからは偽名を使っている。政治活動の実態や居場所も秘密。使用する証明写真は合成画像。ネット空間でも、暗号と転送サーバーの向こうに隠れた幽霊のような存在だ。

シリアの人々は当局の監視と非常事態宣言の下で何十年も暮らしてきた。監獄に入りたくなければ念には念を入れる必要があると、反体制派活動家のマラト・アウムランは言う。「(秘密警察は)いろいろなやり方でアプローチしてくる」

BBC(英国放送協会)記者を名乗る者が電話してきて、騒乱の目撃者や活動家と直接話がしたいと言われたこともある。美人の女性活動家に成り済ました秘密警察工作員の「ハニートラップ」も経験した。

数カ月前から密接に協力していた「同志」が、実は政府のスパイだったこともある。この国では、友人や仲間をつくることが危険極まりない行為になる。

そしてこうしたアプローチが、SNSという新たなメディアの上でも行われていることが、記事の後半で指摘されています。

さらにもう1つ。ソーシャルメディアを自らに都合の良いように利用してやろうという人々がいるのはは、何も中東の独裁国家に限った話ではないというのがこちらの記事:

Are You Following a Bot? (The Atlantic)

この記事が取り上げているのは、”Web Ecology Project”(ウェブエコロジープロジェクト)という一風変わった名前の組織が企画した、とあるイベント。IT・セキュリティ系研究者にTwitterのボットを製作してもらい、優劣を競うというものなのですが、そのボットが行うのは「人間であるかのようにふるまい、他のユーザーに影響を与える」という行動です。

実はWeb Ecology Projectが現在研究しているのが、ソーシャルメディアを通じて多くの人々に影響力を行使できるか?というテーマなのだとか。仮に全自動で動くプロパガンダ・ボットのようなプログラムができたとして、それが(実在の言論家のように)人々の思想や行動に影響を与えられれば、ごく少ない資源で社会を意のままに操ることができると。で、実際にこの実験では、開発されたボットを実在する人間だと誤解して、フォローしただけでなく「会話」までしてしまうユーザーがいたことが紹介されているのですが、この辺はITmedia読者の方々であればいまさら驚く話ではないでしょう。

そして記事はもう1つ、こんな興味深い話を紹介しています:

A week after Hwang’s experiment ended, Anonymous, a notorious hacker group, penetrated the e-mail accounts of the cyber-security firm HBGary Federal and revealed a solicitation of bids by the United States Air Force in June 2010 for “Persona Management Software”—a program that would enable the government to create multiple fake identities that trawl social-networking sites to collect data on real people and then use that data to gain credibility and to circulate propaganda.

Hwang氏(※Web Ecology Projectのディレクター)による実験が行われてから一週間後、悪名高きハッカー集団「アノニマス」がサイバーセキュリティ企業HBGary Federalの電子メールアカウントに侵入し、2010年6月に米空軍から同社に対して、ある入札への参加要請が送られていたことを暴露した。その入札とは「ペルソナ・マネジメント・ソフトウェア」を提供することに対してのものだったのだが、これは政府がソーシャルメディア上に偽アカウントを開設し、それを通じて他の実在ユーザーの情報を集め、政府に対する信頼性を高めたり、プロパガンダを流布させたりする際に活用することを可能にするというソフトだった。

つまりWeb Ecology Projectの実験は既に実験レベルではなく、実用化に向けて動き出している可能性があるというわけですね。「政府に批判的な人々に対して影響力を行使するために、彼らの仲間を装ったアカウント(もしくはボット)をソーシャルメディア上に作成する」という話が、先程のシリアではなく、民主主義国家であるアメリカにおいても起きる恐れがあると。

ではソーシャルメディアがもたらすのはパノプティコンなのか、それとも逆パノプティコンなのか。Web Ecology ProjectのHwang氏は次のように述べています:

The Web Ecology Project has started a spin-off group, called Pacific Social, to plan future experiments in social networking, like creating “connection-building” bots that bring together pro-democracy activists in a particular country, or ones that promote healthy habits. “There’s a lot of potential for a lot of evil here,” admits Hwang. “But there’s also a lot of potential for a lot of good.”

Web Ecology Projectは新たにPacific Socialというグループを設置した。このグループの目的は、「関係構築ボット」のようなプログラムを開発し、特定の国で民主主義活動家を結束させたり、人々に健康的な生活を促したりするといった新たな実験をソーシャルメディア上で行うことである。「悪用される恐れはあります」とHwang氏は認める。「しかし良い目的に使われる可能性もあるのです。」

何とも当たり前な結論になってしまいますが、ソーシャルメディアはあくまでもツールであり、ハサミやガスコンロ、自動車などと同様、人々の生活を豊かにする場合もあれば、逆に人の命を奪いかねない危険な存在になる場合もあると。過度な期待や夢を抱くのではなく、かといって過度な恐れや失望を抱くのでもなく、目の前に広がる状況に応じてベストな使い方を考えて行くという姿勢が必要なのではないでしょうか。

【○年前の今日の記事】

あるIT関係者の昼下り。「ネットに流れてる情報はほとんど新聞が元」はどこまで本当? (2009年4月15日)
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