オルタナティブ・ブログ > 吉政忠志のベンチャービジネス千里眼 >

IT業界でベンチャービジネスの支援をしている執筆者が日々の活動ログと感じたことを、徒然なるままに書き綴っていきます。

CTC教育サービスのスーパーエンジニアコラム「噂」

»

私が編集支援しているCTC教育サービスのスーパーエンジニアコラム「噂」のご紹介です。

毎号、キャラが完全に立った感じのコラムを書いていただいています。フォンも多いコラムです。興味がある方は一度お読みください。技術+完成のいい焼き鳥です!

####
 1967年に結成されたブルースバンドのフリートウッド・マック(Fleetwood Mac)というバンド名は、メンバーであるミック・フリートウッド(Mick Fleetwood)とジョン・マクヴィー(John McVie)から命名されたのですが、彼らがバンドのフロントマンではないのです。首謀者であるピーター・グリーン(Peter Green)がリズムセクションである彼らを自分が結成したバンドの名前にしたからなのだそうです。ピーター・グリーン達は、ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ(John Mayall & The Bluesbreakers)の元メンバーでもありました。ブルースブレイカーズは、クリーム(Cream)結成以前のエリック・クラプトン(Eric Clapton)も一時在籍していたブルースバンドの大御所だったのです。ですから結成したフリートウッド・マックも英国出身のブルースバンドとして人気を博しました。このようにブルースをベースとして発進したフリートウッド・マックがいつしかフォーク色を強めた音に変化します。更にその後にはロックやジャズへのアプローチも加えるといった変遷を繰り返します。これはピーター・グリーン、その後のボブ・ウェルチ(Bob Welch)と度重なるフロントマンの交代により主導権が揺れ動きバンドの方向性そのものが変質するという紆余曲折を経ていたのです。そしてボブ・ウェルチも去ってバンドが危機を迎えていた折も折、新作レコーディングで渡米した際に米国人の男女デュオの曲「フローズン・ラブ」"Frozen Love"を偶然聴きます。それはバッキンガム・ニックス(Buckingham Nicks)として活動していたリンジー・バッキンガム(Lindsey Buckingham)とスティーヴィー・ニックス(Stevie Nick)を新たなフロントマンとして参加する顛末を迎えます。そうしてリンジーとスティーヴィーが加わった新生フリートウッド・マックとしての第二作目が1977年に発表したアルバム「噂」"Rumours"です。。

(この続きは以下をご覧ください)
http://www.school.ctc-g.co.jp/columns/super/super47.html

Comment(0)