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耳が聞こえないのに、耳栓する機会が増えている

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加齢性の難聴で困っている話はこれまでもこのブログに書いてますが、ここ最近耳が聞こえないのに耳栓が手放せなくなっています。

聞こえない、聞こえにくい、という症状は個々人で当然ながら差があるでしょうが、わたしの場合には左耳のほうがまるで土管のなかで音を聞いているような感じで、聞こえないという表現よりは、聞き取れないというほうが症状を適切に言い表しているような気がします。

こういう症状の場合、音量だけを持ち上げても駄目で、反響する帯域を意図的に制限することで一定の効果が得られるのかもしれませんが、8万とか、15万、もしくは30万も出せば、補正する周波数帯を調整する機能ついていますが、残念ながら安価に市販されている機器の場合そのような機能は利用できないような作りになっています。

この聞き取れない症状って不思議なもので、特定の帯域の音が頭に響きわたって頭ガンガンするんですよね、、、、

電車のアナウンスや会話の音など、音量だけの問題じゃないのでこの不快感をいくらかでも軽減しようとすると耳栓のお世話になることになります。

打ち合わせや会議の場で、聞き取りにくくて困る場合にはこれとはまた別な対処が必要ですが、集音器の類いを使ってみて思うのは、人間の耳って自分にとって必要な情報を本当にうまく取捨選択しているんだな…と痛感します。

テクノロジの進化は信じられないほど進んでいる分野もありますが、補聴器の分野においても、人間の耳が果たしている微妙な機能を補完するようなテクノロジが安価に提供される時代になってほしいなと思ってます。

45歳を過ぎてから視力も落ちてるなと実感する場面多いのですけど、こういう体験を自分でする事ではじめて気がつくことが多いです。ホームページを10数年前に作っていた時には想像もつかないフォントの大きさで見ている場合もあったりして(苦笑)

たぶんこれからの時代は電子機器を老人になっても操作しないといけない時代にんるんでしょうから、ユーザインターフェースとかユーザエクスペリエンスの分野の研究って大事になるんでしょうね。

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