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事業グローバル化における戦略と人はどうあるべきか? そのヒントとなるべき考察と事例集

起こりつつあるグローバリゼーション(その1)

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もはや世界は丸くなく、平ら(フラット)である。

もちろん物理的に意味ではなく、検索サービスやネットなどの情報技術の発展により、ヒト、モノ、金、そして情報が国を超え世界規模で飛び交う世界の比喩的表現です。 全米ベストセラーのビジネス書、“フラット化する世界”(The world is Flat)の著者トーマス・フリードマン氏は、法人から個人へ、先進欧米国から新興国へ競争機会が移りつつあることを、世界の競技場が平ら(フラット)になる、という単純な言葉で定義しました。

フリードマン氏の言葉だけではありません。実際は、世界中の人々との物理的心理的距離が縮む現象は、既に起こっている未来です。昨今の情報技術の発達による国を越えた情報アクセスと共有、中国やインドへの業務アウトソーシング、米国などの先進国を中心とした雇用形態変化や失業率向上、そして昨今の米国金融危機に端を発した世界的不景気の波など、世界が小さくそして益々平らになっていることを示してます。米国の経営コンサルタントSirkin氏らの著書”Globality”においては、世界のマーケット(市場)で新興国や先進国、ローカル企業やグローバル企業、個人や法人など、全ての競技者間での競争こそ“Global reality”(世界の現実)だとし、昨今の世界の現状を“Globality“と名づけました。グローバル競争の津波は、他人事ではなく全ての人に影響するのである。世界がフラット化しつつある現実の中では、先進国や新興国、大企業や中小企業問わず、誰もがグローバル競争の競技者となります。

これら世界的市場でのイベントは、遠い海外での出来事ではありません。一カ国での金融危機や新しいビジネスモデルの出現は、他国での金融市場や雇用市場、市場の成長や衰退に影響します。つまり各国・各地域との相互依存性が高くなっています。グローバリゼーションの津波とでもいえばよいのか、この勢いは収まることなく続いてくトレンドです。どこでも誰とでも競争が始まる新時代でしょうか。米国がくしゃみをすれば、他国が風邪をひく。このような相互依存性の高いフラット化時代は、ヒト、モノ、金、情報が国という制約条件が受けず、世界規模での流通と選択が起こります。

もちろん物やサービスの流れは、多かれ少なかれ国の規制や法律や国際貿易に制限を受けます。ヒト、モノ、金はいうに及ばす、情報さえも、国による規制単位です。例えば中国市場では、Googleの検索サービスには検索対象外となるサイトが存在します。中国政府の規制や介入を受け入れた結果です。確実に世界市場はフラット化しつつあります。

企業側も、意図的にまたは結果的に製品・サービスの仕様や価格をローカル化して提供しています。しかしながら、グローバル市場がフラット化の傾向にあることは間違いなく、近未来、例えば50年後の世界市場では、国という単位さえも存在しないかもしれません。

ではグローバリゼーションの要因・要素をどのように捉えるか、を次回に述べてみます。

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